191216-22_Multan

さて、3つ目の対象都市はムルタンである。8時間以上の道のりとなるので、別動隊のいるファイサラバードで一泊、状況報告しつつ移動した。

今回のプロジェクトチームは9名で、役割によって各都市で活動している。俺は単身で移動し、他のメンバーと合流しては分かれている。


ムルタンは比較的平坦で郊外には田園が広がる。




一方、街並みは古く、雑然と賑わう。





そうそう、KP州では酒が手に入らなかったのだが、ムルタンに来て久しぶりにビールを買うことができた。

国産ビールが6種類もあるのは何故…?

まあ、ムスリムの国なので公然と飲むことはできず、部屋で寂しくやるしかないのだが。


自然と食事もルームサービスになり、軽く軟禁されている気分。


ムルタンでも常に警察が付いて回る。

従ってまたしてもウロウロするわけに行かず、調査時以外は車窓から眺めるだけ。




この町で無事調査を終了。


ラホールに戻り、帰国の途に就いた。 


また来ることはあるかなぁ...

191203-15_KP州Abbottabad

ラホールでの調査を終え、車で北上すること6時間。Khyber Pakhtunkhwa州(KP州)、アボタバードへ移動した。


この町は、アルカイダの元指導者、ウサマ・ビンラディンが発見、射殺された場所として一時期有名になったことがある。当時その付近で仕事していた同僚は割と冷静にビビッていた。

さて、ここでは上水道の調査で、以前その同僚たちが作った浄水場を手本として、ハリプールなど、周辺の水道を計画してゆく。


KP州はフラットなラホールと違い、山岳地系が多い。緑も比較的豊かだ。


またアボタバードには、古くはパキスタン北方とシルクロードとを結ぶ道であったカラコルム・ハイウェイが通っている。


水源調査でこの街道を北上したのだが、残念ながらK2などを拝む所までは行かなかった。かなり遠いらしい。


最近は下水道の調査が多いのだが、やはり上水道の方が身に合っている。きれいだし。


さてこのKP州には軍事施設が多く、我々外国人調査団には終日の警護(という名の監視?)が付く。というか警察が居ないとどこにも行くことを許されない。


またこの警察が武装してコワモテなのだが、意外とフレンドリーでギャップに戸惑う。


なかなか面白そうな街であったが、ほとんど散策できなかった。


ま、調査では色んな所に行けてよかったが。



忙しかったし、警察を引き連れていくのも気が引けてレストランなどには行けなかったが、行く先々でお茶(基本はミルクティー)や軽食が振舞われた。

やっぱカレーが基本

パキスタンの人はものすごく親切でホスピタリティに溢れている。

191125-1202_Lahore

パキスタン、ラホールにやってきた。


ムガール帝国時代から続く大都市である。

ここまでは水道局にもらった動画からの写真

ここでは、下水路や雨水排水路を対象とした調査を行う。


残念ながらプライベートな写真を撮ることが難しい。カタい仕事で行くと自由にぶらぶらする許可も時間も与えられないし。


 招待された食事が唯一の思い出か…?


次はイスラマバードの近く、ハリプールへ…

191125-1224_Pakistan

初めてのパキスタン。


191116Sat-17Sun_勘七の沢&セルフレスキュー

丹沢にやってきた。なんとこの時期に沢である。この日の最低気温(小田原)は今期最低の5.7℃である。寒いに決まっているのである。

鍋割山の登山道が横切る勘七の沢を遡行する。日和は朗らかで、意外と暖かい。…気がする。


F-1の一歩目がちょっとした核心だったらしい。が4人4様で色んな登り方ができる。この沢全体的にそんな感じだった。


次々と現れる小滝が楽しい。


そうこうしている内に沢に差し込む日差しが暖かく、気のせいではなく暖かい。最高気温は18.7℃まで上昇したようだ。




さすがに水を被ると寒いので、しぶきを上げている滝はカッパを着た。が、すぐ脱ぐことになる。

俺なんかビビッて下半身はウェットスーツを着込んで行ったのだが、必要なかった。むしろ詰めで暑かった。


核心はこのF-5。でもフォローだとロープがあるから却って容易に感じた。





その後もゴルジュっぽいとことか色々あり、飽きが来なくていい。




詰めも割と楽で、めっちゃ人通りの多い大倉尾根へ。ちょっと歩いて堀山の家から西の尾根に逸れ、入渓した二俣へ下山。滝沢園キャンプ場でテン泊した。




翌日は近くの岩場でセルフレスキュー講習。


これは使える!と思った負傷者担ぎの技。


早く誰かケガしないかなぁ、などと思ってはイケナイ。