石鎚登山のベースキャンプ、面河渓からはBD-1で高知へ移動。この日も快晴。登りの汗も木陰から吹くそよ風にからっと乾く気持ちのよいサイクリング日和。四国の風は少し甘い香りがした。
チャリで50km走り、やっと見つけた定食屋は日曜定休日(!?)。四国、恐るべし。からくも辿り着いた佐川から四万十川中流の町、窪川へ土讃線で移動、折りたたみチャリの醍醐味である。
疲れたから酒を買い込んでフテ寝を決め込もうとすると、「おーい、兄ちゃん、魚取るきぃ 遅くまで明りぃがえぇがか?」と竜馬のような言葉とともに地元のオジさん達が登場した。
何本か刺し網を張り、その周囲を松明を付けた船で漕ぎまわり、鮎を追い込む。火ぶり漁というそうだ。
この日は「意外と大漁」という釣果。俺が焼き係となり、「皆さん焼けましたよ、早く食べましょうよ~」と言うと、「全部食べていいきに。足りなかったらいくらでも焼いてえぇが。」。旅の空に人の情けが心に沁みる。鮎の塩焼き×5匹+飾り気の無い交流で、最高に贅沢な夕げとなった。
翌朝、川下りに使うフネをクロネコヤマトで引き取り、川旅の支度にいそしむ。フネの代わりにチャリを下流の中村市に送る。
空気を入れれば完成するインフレータブルカヤック(という名のゴムボート)、“初代小路丸”でキャンプ道具と、自分で持たないことをいいことに買い込んだ酒・食料をドカッと積み込み、四万十を漕ぎ出す。
川に出てしまうと、自然の懐に身を委ねて流れて行くだけ。鮎突き・鮎釣りの人に一日数回会う位である。四万十沿いに店なんてほとんど無いから、食料は全日程の分を詰め込む。飲料水は岸にフネが留めてあるところから道を辿って民家を見つけ、井戸水を分けてもらった。
漕ぎ出して2泊目、打井川周辺は川幅が広く水深が浅くなり、カヤックを曳いて歩くことが多くなる。漁のオジさんは「今は水位が低い。確実なのは江川崎から下流」と(土地の言葉で)教えてくれた。
スノーケリングをしながら下ったり、のんびり遊びすぎて予定より全然進んでいないことにも気付き、翌朝、打井川駅から予土線・で江川崎まで汽車で移動する。
車窓から見る川は、やはりかなり曳かないと進めない様子だった。江川崎上流だとせいぜい十和から乗れるくらいだろうか。
楽しみにしていた定食屋は江川崎にも無かった。気を取り直して、広見川と合流して水量豊富な四万十へ復帰。
汽車で結構飛ばしたこともあって、流石にもう急ぐ理由は無い。山を縫うように優雅に流れる川からゆっくり流れる風景を愛でながら、ぐびり。ウトウトするうち岸に流れ着き、“あちゃここぁどこかいな”と、またぐびり。さしずめ“ひとり屋形船”ってなもんか。
テントを張りやすそうな川辺を見つけ、マキを拾い、寝床の準備。暑くも寒くも無い。そよ風と川の流れる音を聞きながら、乾いた小石の河岸に寝転んで星空を見上げる。さつま揚げを焚き火で炙り、にんにくをおき火で焼いて酒の肴と明朝のおかずにする。
漕ぎ出して、4日目、申し訳ないけどいい天気。相変わらずだらしなく流れてゆく。竿を伸ばせば何やら一生懸命掛かってくれるのだがいかんせん小さい。まあ数は釣れるし雑魚煮でも作ってやろうとヨダレを垂らしている内に網に開いていた穴からみんな無事に脱出して行ったようだ。ま、大きくなるまでの執行猶予つき釈放てなもんだ。
4泊目、月が真ん丸になってきた。星は見にくくなるが、明かりが要らないのが助かる。こんな夜はいつでもマキを拾いに行ける。ゆっくり遅くまで飲んでやろう。
この川旅ではほとんど寝袋は使わなかった。しかし、早朝に寒気を感じて寝袋を引っ張り出し、心地よい温もりの中で二度寝する。テントの生地の音で再度目覚めると風が出ている。朝焼けは悪天候の前兆。
ラジオの天気予報もマジメに聞いていなかったので情報不足だが、ナンだか嫌な予感がする。いつもより早く出発すると、西から雷鳴が連続的に轟く。水平な川面で金属製のパドルを掲げている俺って、 ・・・ もしかしてかなりキケン? などとビビっているうちに晴れ間がさしてきた。
空が広くなってきた。川幅もいつしか広くなっている。 と、思い始めるとチラホラ懐かしい文明の象徴、コンクリートビルディングが眼中に飛び込んでくる。中村市、出発した窪川と並んで、四万十川沿いでは限られた町と呼べる町。この川旅の終着点であった。