130710Wed_M山F尾根


帰国の直前に梅雨明けしていたらしく、ここんとこ晴天が続いている。休暇というものはこういうときに使わなくてはいけない。

と言うわけで、やって来ました平日の富士山麓。


富士と河口湖を眺めながら林道をゆく。いい天気で暑い、けど多摩ほどは暑くない、けど涼しいと言うほどでもないな、う~む・・


林道走行の後はトレイルの押し、ん~緑が眩しい・・


今日は天下一品の、F峠。

MTB、ここ下らずに、ドコ下る。


この上ないトレイル。この上ないテライン。F尾根を知らないMTBerは不幸だ。

しかし、今日はナンだか妙~にツイてないT師匠。

トゲトゲのブッシュにカラマれ、脚は傷だらけになり、(ゴルゴのようだ・・・)


パンクし・・


おまけに転倒・・

でも何だか楽しそう・・(?) 

シカシ、F尾根だからいいのである。何でもOKなのである。

車をデポしたトレイル出口に戻り、


またもや登る。今度は別のアプローチで。


下りは面白いので同じコースをもう一回。


「このトレイルを楽しいと思わなくなったらMTBを降りよう」と思った。

Pix by T師匠&koji

130707Sun_U峠&F峠


よく考えるとMTBは久しぶりだ。3月にも今回同様、U&Fの定番コンビライドをしたが、ちゃんと乗るのはそれ以来である。

最高気温35℃(東京)を記録したこの日、家を出た瞬間、ココロとカラダが一日もつか不安になるような熱気に包まれる。

まあともかく、いつでも逃げることができる低山ライド。気力・体力が続くまでやろう、とU峠に向けてこぎ出すKENにぃ&俺。


水を飲んでは汗となり、飲んでは汗かき体中を水分がぐるぐる循環していく。


暑い暑い、と言っても登りだけ。U峠まで来ればこっちのものである。


灼熱地獄から爽快な下り天国へ。いつも以上に気持ちがいい。


初夏のトレイルはきらきらと輝き、我々を迎えてくれた。


1本目を終え、いつものコンビニでメシにしようと思うが容赦ない日射とアスファルトから巻き上がる熱気でとても座り込む環境ではない。しかたなく「冷房中」の看板を誇らしげに掲げる店に逃げ込む。

うどん屋のオバちゃんは“一番涼しい席”に座らせてくれた。我々がゆでダコか何かに見えたらしい。


午後、とりあえずF峠を目指してみる。休憩・給水を繰り返しつつまた登る。


雰囲気としてはこの1本下ってサワヤカに終了、という感じではあったが、下ってすぐ生ビールで乾杯!という時間には少し早い。

意を決して日の出方面に下り、


今度は逆から再びF峠を登り、本日3本目を多摩川方面に下った。更に小作堰から拝島まで自走。


この炎天下、オーバー40のオッサン2人は必要以上にガンバッた。


いやはや、ビールというものはこうしておいしくするものなのダ。

130626-0704_BinhDuong_VN


キエンザン省から再びビンズン省へ。

雨季の空模様は多彩で流動的

もうひと踏ん張りで帰国の途に就く。

頭痛 ~ やるなら俺をヤレ!


今回の風邪で三晩苦しんだ。日中は症状は軽かったが、ホテルに帰って、夕方から翌朝までベッドで熱にうなされるのは余り快適な生活ではなかった。

最初の晩、ズキーン→「イテテ、ごめんなさい」。ズキーン→「もうしません、カンベンして」などと自然に“反省”的な態度になってしまった。

あまり深く考えず、この苦痛は風邪を引くような不摂生を行った自分への罰、みたいにフツーに感じた。これがスタンダードな病人の発想という気もする。


二日目の晩、この頭痛はもしかして、単なる懲罰ではないような気がしてきた。

だいたい、昨夜ひと晩中反省させられたのに、それでも許してもらえない、というのはちょっと厳しすぎるのではないか?

そもそも、“オシオキ”目的のために誰がわざわざ痛みセンサーを頭脳各所に配置するのだ?

などと疑問に思えてきて、“懲罰”案を否定したくなってきた。

では、頭痛の目的は何なのか?

痛み、というのは、そもそも身体に好ましくない事象が起きていることを示唆するべきもののハズである。罰、というのは何かオカシイ。

例えば免疫系が、ウィルスが嫌いな高温攻撃をするために発熱する。しかし一定範囲を超える温度は臓器にも一時的なダメージを与えるのではないか。

例えば大脳皮質B区画2課とか、D区画4課など特定複数の部署(?)が熱に弱かったりすると、発熱の際にこれらの部署では「ヒー暑い。ウー暑い。」と悲鳴が上がる。

ズキーン・ズキーンという痛みはそういう苦しむ人々の叫びだった、という可能性はないだろうか。

この考えの方が合理的、とまでは言わないが、少なくとも在りそうな話ではないか。

しかしだ、昨日は、ズキーン→「イテテ、ごめんなさい」みたいになっていたのが、この案では、(B2課)『うぁー暑いよー』→ズキーン!。(D4課)『助けて苦しいヨー』→ズキーン!。と、苦痛の原因を作った俺ではなく、他人が苦しんでいることになる。

まるで自分が脱藩して家族が罰せられている坂本竜馬のような気分である。

「やるなら俺をヤレ!」などとインチキヒーローみたいなセリフを叫びたくなる。が、問題は誰に叫んだらいいのか分からない。

この“とばっちり”案は、機構的には在りそうな気もするが、精神衛生上よろしくないナ、うーん、うーんと唸りながら朝を迎えた。


三日目、また頭痛が始まった。正直ウンザリである。

“おしおき”にしてはしつこすぎるし、“とばっちり”案だとどう頑張ればよいか分からない。

フト、熱のある頭の中で「バカだなあ、ごちゃごちゃ言ってないで早く治さないとずっと痛いよ」という言葉が聞こえた(気がした)。

そうか、この頭痛は「大人しくして早く治しなさい、そうしたら痛みを止めてあげるから」という“警告”だったのか!

などとヒラメいたのだが、1日目も2日目もそれなりに治療に専念していた気もするし、何がいけなかったのだろうか?

もうどうでもいいや、という投げやりな心と、「ちゃんと治さなきゃ」という心の葛藤を経て朝を迎えた。


四日目、いつもの時間に頭痛は来なかった。ああ、やっと治ってくれたらしい。

頭痛 ~なぜ、“頭”なのだ。


そもそも、頭痛と言うものは一体ナンなのだろうか?大体、何のために頭を痛くしなければならないのだ?

類似する他の例を見てみよう。

例えば腹痛、これは胃腸に難を来たしている事を示唆するわけだから、原因を探り、対処法を考えるヒントにもなるのだから大いに意味がある。

タバコを吸い過ぎれば胸痛がして少し控えようと思う。膀胱が痛ければもうこれ以上おしっこをガマンしてはマズい、という身体の状況が単純に理解できる。

つまり、大抵の痛みはその原因箇所が痛くなる。だから我々は腹が痛ければ「あ、何かヘンなもん食っちゃったかな?」などと思うわけである。

じゃあ頭痛は我々に何を訴えかけているのだろうか。

例えば、薄着をしていて風邪を引いたとする。このとき、寒気を敏感に感じ取らなかったカラダの方じゃなく、何故アタマが責任を取って痛みに苦しまなくてはいけないのだ。


頭痛にはこういう何か釈然としない悔しさがある。この不平等感がたまらなく納得できない。

頭痛 ~この“許しがたい”痛み


風邪を引いてしまった。

記憶を辿ると最後の風邪は7年半も前、ずいぶん健康管理をしっかりしてきたものだ。

のど飴やマスクを常備し、夏でも上着を持ち歩き、体調変化には過敏なくらい気を配ってきた。

そこまで嫌っていた風邪を引いてしまった。

そしてあのイヤな風邪の諸症状がやってきた。その中でもやっぱり一番つらいのは発熱・頭痛だ。

二日酔いの頭痛は半日もすれば治るし、いざとなれば頭痛薬を飲めば治るのでどうと言うことはない。

風邪の場合、免疫系がウィルスと戦うためにワザワザ発熱しているので、解熱なんてしてはいけない。辛かったらしてもいいかも知れないが、治癒が遅れて結局自分が疲労してしまう。

発熱を助けるため、ふとんにくるまってジッとしているしかない。他に何もできない、これがツラい。

寝られないトキはぼーっとした頭で考え事するくらいしかできない。だから今回、色々考えてしまった。


熱で重く締め付けられるような頭の所々で、ズキーん、ズキーん、と頭痛が繰り返される。

頭痛ほどイヤな痛みはない。何かとても悪質な痛み、という感じがする。苦しい痛みである。まさに“苦”痛である。

しかし、「痛み」に「苦しい」という字を付ける必要があるのだろうか。「痛い」ときは大抵「苦しい」のではないか、と思う。

“良”痛とか、“快”痛、などという言葉は聞いたことが無い。ん?でも「痛快」はあるな、痛快ってどんなときに使うんだっけ?

「イチローが放った痛快なタイムリーヒット!」

などと言うな、でも何が“痛い”んだ?“快い”だけじゃないのか?まさかバットの身になってやっているのか?ボールか?

「彼女がセクハラ部長にビンタしたとき、痛快な思いでした。」

とか言うな、でもやっぱり気持ちいいだけじゃないのか?

結局、「痛快」の意味は良くわからない。しかし頭痛の嫌な痛みを明確にするためには生っちょろい痛みとはちゃんと差別化しておきたい。

例えばどうだろう、マッサージとかでも痛いけど、あれは “気持ちのいい”痛みという気がする。

それから絶世の美女などに、「この甲斐性ナシ!」とか言われながらひっぱたかれるのも何となく気持ちよさそうだ。(?)

時間が許せば、おしりとかもたたかれてみたい気もする。(??)

あとアレはどうなのだろう、女王様役にヒールでグリグリとか、ローソクたらしとか、気持ちがいいのだろうか。貴重な人生、一度くらいは経験した方が良いのだろうか。


話がヘンな方向に行ってしまったが、“許せる”痛みと“許しがたい”痛みという区別はもっとちゃんとした方がいいのではないだろうか。

キエンザン、麺と女は待っていた。


この飛び入り出張ではキエンザン省・フーコック島と、本土の都市・ラックザーを訪れた。両方とも海に面しているので、当然シーフードがうまい。


カタクチイワシはフーコックの漁獲高ナンバー1であり、生食も可能だ。

ライスペーパーに香草とブン(コメの麺)と一緒に包み、ニョクマムで食べる。

島の特産品、フーコック・ニョクマムもカタクチイワシから作られる。

35°Nや40°Nは熟成度を示しているらしい。

しかし、この日の主役は雨季の始めのこの時期にしか食べられないというキノコ鍋であった。フツーはこの後お粥にするらしいが、すぐにキノコ汁が売り切れてできなかった。


ナイトライフは、やはり氷で冷やしたビールで始まる。


ナイトマーケットで一杯やっていると、スタッフなど関係者がわらわら集まり、自然に宴会に発展してゆくのがお決まりのパターンである。


フーコックからラックザーにフェリーで渡る。1年以上前に通った店に行ってみると、かわいい店員さんが我々のことを覚えていてくれた。

どの娘がこーなったんだろおか、と悩む。オンナの変化は恐ろしい・・
(ベトナムは綺麗な人が結構多い)

キエンザンに来たら、フーティウを食わなければならない。フーティウは米からできている、太いビーフンという感じの麺である。

 柔らかいフォーと対照的に、コシのあるフーティウが病み付きになる。
右はフーティウ・ボォ(牛肉)


極めつけはコレ。フーティウ・ハイサン(海鮮)!!