ER-5 Lower & Delta Rhein

 オランダ国境に近づくと、明らかに空気が変わった。気温が少し低く、湿度が少し上がったのだと思う。この気候と牧草の匂い... フッとイングランド中・北部を思い出した。肌感覚の記憶というものもあるらしい。これまではもっとカラッと大陸的だったんだろう。



いちおう、ドイツ‐オランダ国境。


欧州大陸部を旅するのは4回目。幾度となく国境を越えてきたが、これなんてむしろ分かりやすい方だ。地図アプリを凝視しても分からないときあるし。

今回、チューリッヒからの入国だからパスポートにスイスのスタンプはある。だが、ドイツ、フランス、オランダは通り過ぎただけなので無い。つまり証拠は何も残らない。

そういや曇り空も久しぶりだなぁ。しっとり...

お、風車だ。さすがオランダ

建物も変わる。(たぶん年間日照時間が短いから)窓が大きく、レンガ造りが多くなる。


オランダ入国早々、トラブル発生。なんと水位が低くてフェリーが欠航になっている。橋があるところまで迂回するとプラス20km... ヤレヤレ (-_-;)


まぁしゃあない。やっとの思いでキャンプ場にたどり着くと、支払いは現金のみという。オランダ(の田舎)では、意外とクレジットカードが使えないことを痛感。

今は円安だから(JPY決済の)クレジットカードよりも、米ドルから換金したユーロを使ったほうがいい、と現金優先で使っていたらいつの間にかカネが無い。

ATMのある町まで往復10km。それだったら10km進んで先のキャンプ場に行ったほうがいい。途中に別の町もある。

で、その町でカネを引き出してチャリのところに戻ると、俺と同じBirdyを持った紳士が...


Birdy(日本ではコピーライトの制約で“BD-1”として販売)は何を隠そうドイツ製。ドイツにはさぞ多かろうと思って来たのにこれまで見かけたのは1台だけ。自転車の多いドイツでこれは異常なことだ。

もちろんオランダ(しかも田舎)でもかなり希少らしく、思わず話が弾んでしまった。

が、俺は疲れている。後ろ髪を引かれる思いで別れを告げると、「なにキャンプ場に行く?それならウチのガーデンでやればいい。なんならベッドルームも空いている」という。

一瞬遠慮しようかと思ったが、テン張るだけなら大して迷惑でもなかろうと判断し、素直に好意に甘えることに。(結果的にめっちゃお世話になったが... )

Jan(ヤン)氏のお庭。自家栽培の野菜料理や果物、お手製チーズなどを振舞ってくれた。

これまで楽ばかりしてきたからこの日走った88kmは最長距離となった。

翌日は、Janがボランティアでチーズを作っている農場に連れて行ってもらった。オランダ人は皆フレンドリーで、いきなり行ったのに歓迎してくれた。



Janの作業前、いい加減失礼することに。

サイクリングロードまで送ってもらい、感謝の念と別れを告げる。

しばらくすると雨が降り出した。雨と呼べる雨はチューリッヒ以来だ。チャリ旅を始めてからは、通り雨がスイスで一回、ドイツで一回、10分くらい降られただけなのでほぼ初めて。(毎日快晴だから“ヨーロッパの夏っていいなぁ“などと思っていたが、今年は干ばつらしく異常らしい。)


19日目にして初めてカッパを着て走り、降ったりやんだりの空の下をほどほど走ってWijk bij Duurstede近くのキャンプ場へ。


ここが良かった。屋内の休憩スペースがあったので超快適 (^^♪

まだ新しいらしく、世界地図にキャンパーの出身地を旗を立てていたのだが、俺は“The 1st Japanese”となった。


俺はたぶん、これまで色々なところで初めての日本人になっているはずなのだが、何しろ証拠がない。なのでこんな風に形として現れるとちょっとウレシい。

隣のテントのベルギー人やドイツのサイクリスト達と一緒に食事したり、ソフト的にもハード的にも居心地が良いので2泊の後、また出発。


そういえばもう既にライン川最終ステージ、デルタである。地形はフラットで大小の運河が巡らされている。


ライン川自体は複数に分岐し、名目化している感がないでもない。


当初の予想では、ライン下流に行くほどに景色は“大あじ”になり退屈し、気持ちもダレて来るだろうから、途中でブレーメンやハンブルク方向に進路を変えるなどしようかと思っていた。ところが実際は意外なことに飽きが来ない。退屈しのぎに持ってきたオーディオブックも一つも聞いていない。

気球... てことは天気が安定してきているのか?

とあるキャンプ場の芝生で寝転んでいて気付いた。確かシロツメクサってオランダから(梱包緩衝材として)来たんじゃなかったっけ?


結局、Janと別れた時の雨と、その2日後にパラっと降っただけで再びあっけらかんと快晴に戻った。

というある朝、風車群落突入。


スゲーいっぱいある。


ここはキンデルダイクという場所で、ロッテルダムの郊外である。十数キロ走り、中心部へ。


いやぁ、良く(飽きずに)ここまで来たなぁ。


さて、ロッテルダム観光しよ~っ、と言うのがこの日の予定だったのだが、ふと距離表を見ると “河口まで30km” とある。「あとたった2時間?」と思ったが最後、急にとっとと終わらしたい衝動に駆られた。

もうこうなると俺はダメな人で、行きたかった戦争博物館などから目を背け、ワシワシとペダルを踏んでしまう。3週間かけてやっとたどり着いたロッテルダム市街がどんどん過ぎてゆく。


残り15km、河口らしき水面が見えた。今度は近代的な風車群が両岸に現れ、旅の終わりを祝福してくれているような感覚... 。


海からの向かい風が強く、この15kmがなかなか進まない。進まないから開き直ってサイクリングを味わう。この3週間を振り返ってもみる。

累積距離を見ると1,000kmに近づいていく、千キロ... 長いのか短いのか分からない。

ついに海辺に到達。


いちおう、突堤の最後まで行ってみた。数組のサイクリストが居たので見回したが、知った顔はない。


ここで、チューリッヒ空港で0に合わせた走行距離が1,000.0kmに達した。ただの偶然だがキリはいい。


“海の家”的な店があったので缶ビールを買い、一人ささやかに無事の到達を祝った。いちどに気が抜けて体が急に重くなる。

なんとか一番近くのキャンプ場まで走り、チェックイン。大きなキャンプ場で受付が開いていて良かった。(大半のキャンプ場は15時くらいまで昼休みで閉まり、俺は待つことが多い。)


さて明日からどうしよう。ロッテルダムでゆっくり考えるつもりだったからノーアイデアだ。。。

ER-4 Middle Rhein to Köln

マインツからライン川に復帰。フランクフルトからのマイン川も合流し、川幅はかなり広い。


橋がないところはフェリーで渡る。ここは2ユーロちょいだったかな。


マインツからコブレンツあたりまでは、両岸の丘陵が迫り、川幅は再び狭くなる。ラインを行き来する船から通行税を徴収するなどしていた城がたくさんあり、見ていて楽しい。


これは古そうだ。ゲルマンの侵入を防いでいたローマ時代のかな?

このキャンプ場も城のふもと

ラインで水浴びして汗を流し、ビールを飲む。涼しくなったら最後にキャンプ場のシャワーを浴びる。これが暑い日のパターンになった。

行き交う船を眺めて夕暮れを待つ。両岸には鉄道も走っており、見飽きなかった。


翌日も引き続きライン峡谷をゆく。古城だけでなく、ふもとの街並みも目を引く。


両岸にあるから本当に見どころは豊富。クルーズ船もよく通る。




この流域はドイツにしては珍しく平地が狭いから、鉄道や自動車道が近い。


それでも自転車、歩行者道は確保されている。


コブレンツ到着。


“ドイツ”初代皇帝、ヴィルヘルム1世の像があった。


ここのキャンプ場で、“Are you traveling with that Birdy?” と声を掛けてくれたのは、今回初めて会ったミニベロ(Dahon)長距離旅行ライダーのスペイン在住アメリカ人であった。彼女にとっても他のミニベロは俺が初めてで、お互い「もっと多いかと思った」と同様の感想だった。それと、「E-bikeが多くて驚いた」とも。(この後も最後までミニベロ旅行者はいなかったと思う)


次の町、ボン(西ドイツ時代の首都)も中途半端な距離なので鉄道で移動。


ベートヴェンの生家が博物館になっているので寄ってみた。

ドイツに入ってからは結構ベートヴェンの曲を聴きながら走っていた。ブラームスも。いつも無計画な俺にしては良く持ってきた。ナイス判断だと自画自賛していたのだが… ときおりシューベルトの歌曲が勝手に頭の中に流れてくる。何でだろうかと思ったが、多分ドイツ語を耳にしているうちに連想したとしか考えられない、歌曲だけだし。(俺は学生時代、ドイツ語のクラスで強制的にベートヴェンやシューベルトを聞かされていた経験がある)(シューベルトの音源は持って来なかったので結局片手落ちだった ..orz)


ここには4弦のピアノ(普通の3弦より音が大きい)や、色々な音聴器など展示されており、難聴になってからの苦労の品々が印象的だった。

ボンからたったの30kmで、ケルンに着く。


ケルン大聖堂。リバプール大聖堂を見たときはその大きさにビビったが、少なくとも垂直方向ではこちらのほうが高いらしい。


中に入ってみる。


この日は日曜日だったので、この後パイプオルガンが鳴り、ミサが始まった。(撮影は遠慮した。)


相変わらずのキャンプ生活は続く...

ER-3 Heidelberg to Mainz (Upper-Rhein)

ストラスブールを後にし、ちょっと離れていたラインに戻る。


橋は少ないから渡しのフェリーがちょいちょい見られる。


ここいらは河跡湖が多い。俺は大抵14‐15時くらいにはキャンプ場にチェックインしてしまうのだが、この時期の気温は17時くらいにピークに達するから日向にいると暑い。だから水に入れるとクールダウンできてとても気持ちがよい。その後のビールも最高である。

キャンプ場によってはレストランや売店が併設されている場合があるのだが、営業時間がまちまちなのでアテにならない。なので俺は食料等はスーパーマーケットで調達している。あいにくキャンプ場の近くにない場合も多く、おまけにビールが常温販売だったりするので氷を買って冷やしながらキャンプ場へ移動するなど、これが唯一の苦労だった。

雨どころか夜露も無いからテントフライを張るのもやめてしまった。

ドイツに戻り、また寄り道…

正直なところ、いい加減な当初計画のお題目は3つだけ。ライン添いのサイクリングロードを走る、シュバルツバルトを歩く、ホモ・ハイデルベルゲンシス出土の地を訪れる。だけだった。


キターーーー!!

ハイデルベルゲンシスは、我々ホモサピエンスの直系の祖先であり、人類史上不可欠な存在である。


出土はここ(土質層)らしいんだが… フツーもっとなんか、洞窟とか、硬質な堆積層とかちゃうんか... ?


まぁええわ。と、この小さなマウエルという町を去り、ハイデルベルゲンシスの由来となった、もうちっと大きな市街であるハイデルベルクへ。


有名らしいハイデルベルク城へ。


そういえば城の中って何があるんだろ、って思ったら巨大なワイン樽とかがあって生活感が感じられる。

何人分…?

結構リアルに迫力あったのが、崩壊箇所。。


広大な庭園からの城と街との概観。当時(中世)では呼ばれた人だけが眺められたんだろうなぁ、などと思いを馳せてみる。(俺は絶対生きたくないけどね、欧州の中世“カトリック”時代)


距離が中途半端なので、俺にとってドイツ初の大都市フランクフルトへは鉄道で移動。



ヨーロッパでは鉄道に自転車が持ち込めることが良く知られているが、(少なくともスイスやドイツでは)特急なら別料金(乗車券の4割~とか)が掛かり、結構な負担である。一方、特急以外ではチャリは無料で持ち込むことができる。(スペースが限られている↑ので混雑するとそれなりに苦労はするが、そういう時はたたんでやり過ごした)



Frankfurt am Main, フランクフルトは、「フランク族が(川を)渡るところ」という非限定的な呼称であり他にもあるため、この有名なフランクフルトは、必要に応じて「マイン(川)にある」という意味の am Main を添える。

ここではゆっくり2泊し、博物館など訪れてみた。


興味深かったのが、昔の街並みの模型や絵画と、



第二次大戦直後↓ …連合軍にボコボコにされて大聖堂くらいしか残らなかったらしい。まあ必然的に戦争を招いたのはナチスドイツなので、自業自得と言えばそれまでだが。


夕涼みはマイン川添いの公園で。トラムが渡る橋を見ていると飽きなかった。


フランクフルトを去り、次はマインツへ、ライン川に戻る。この街、サッカー元日本代表の岡崎が居たことくらいしか知らなかったのだが...


グーグルマップで“観光スポット”を見てみると、グーテンベルクの博物館があることを知り、慌てて寄ってみた。


『活版印刷』のグーテンベルクである。そしてこれが、


ルターが翻訳し、以後の宗教改革運動を爆発的に促進したドイツ語の聖書。(それ以前は手書きの、聖職者しか読めないラテン語の聖書しか無かった。)


いやー、マインツ危うく素通りするとこだった (-_-;) 。。