ER-3 Heidelberg to Mainz (Upper-Rhein)

ストラスブールを後にし、ちょっと離れていたラインに戻る。


橋は少ないから渡しのフェリーがちょいちょい見られる。


ここいらは河跡湖が多い。俺は大抵14‐15時くらいにはキャンプ場にチェックインしてしまうのだが、この時期の気温は17時くらいにピークに達するから日向にいると暑い。だから水に入れるとクールダウンできてとても気持ちがよい。その後のビールも最高である。

キャンプ場によってはレストランや売店が併設されている場合があるのだが、営業時間がまちまちなのでアテにならない。なので俺は食料等はスーパーマーケットで調達している。あいにくキャンプ場の近くにない場合も多く、おまけにビールが常温販売だったりするので氷を買って冷やしながらキャンプ場へ移動するなど、これが唯一の苦労だった。

雨どころか夜露も無いからテントフライを張るのもやめてしまった。

ドイツに戻り、また寄り道…

正直なところ、いい加減な当初計画のお題目は3つだけ。ライン添いのサイクリングロードを走る、シュバルツバルトを歩く、ホモ・ハイデルベルゲンシス出土の地を訪れる。だけだった。


キターーーー!!

ハイデルベルゲンシスは、我々ホモサピエンスの直系の祖先であり、人類史上不可欠な存在である。


出土はここ(土質層)らしいんだが… フツーもっとなんか、洞窟とか、硬質な堆積層とかちゃうんか... ?


まぁええわ。と、この小さなマウエルという町を去り、ハイデルベルゲンシスの由来となった、もうちっと大きな市街であるハイデルベルクへ。


有名らしいハイデルベルク城へ。


そういえば城の中って何があるんだろ、って思ったら巨大なワイン樽とかがあって生活感が感じられる。

何人分…?

結構リアルに迫力あったのが、崩壊箇所。。


広大な庭園からの城と街との概観。当時(中世)では呼ばれた人だけが眺められたんだろうなぁ、などと思いを馳せてみる。(俺は絶対生きたくないけどね、欧州の中世“カトリック”時代)


距離が中途半端なので、俺にとってドイツ初の大都市フランクフルトへは鉄道で移動。



ヨーロッパでは鉄道に自転車が持ち込めることが良く知られているが、(少なくともスイスやドイツでは)特急なら別料金(乗車券の4割~とか)が掛かり、結構な負担である。一方、特急以外ではチャリは無料で持ち込むことができる。(スペースが限られている↑ので混雑するとそれなりに苦労はするが、そういう時はたたんでやり過ごした)



Frankfurt am Main, フランクフルトは、「フランク族が(川を)渡るところ」という非限定的な呼称であり他にもあるため、この有名なフランクフルトは、必要に応じて「マイン(川)にある」という意味の am Main を添える。

ここではゆっくり2泊し、博物館など訪れてみた。


興味深かったのが、昔の街並みの模型や絵画と、



第二次大戦直後↓ …連合軍にボコボコにされて大聖堂くらいしか残らなかったらしい。まあ必然的に戦争を招いたのはナチスドイツなので、自業自得と言えばそれまでだが。


夕涼みはマイン川添いの公園で。トラムが渡る橋を見ていると飽きなかった。


フランクフルトを去り、次はマインツへ、ライン川に戻る。この街、サッカー元日本代表の岡崎が居たことくらいしか知らなかったのだが...


グーグルマップで“観光スポット”を見てみると、グーテンベルクの博物館があることを知り、慌てて寄ってみた。


『活版印刷』のグーテンベルクである。そしてこれが、


ルターが翻訳し、以後の宗教改革運動を爆発的に促進したドイツ語の聖書。(それ以前は手書きの、聖職者しか読めないラテン語の聖書しか無かった。)


いやー、マインツ危うく素通りするとこだった (-_-;) 。。

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