100216- 0417_Makassar_Indonesia


Selamat (happy) tinggal (stay) ~ スラマッティンガル / さようなら


*) Selamat tinggal は去る者の挨拶。見送る者は、Selamat (happy) jalan (going) / スラマッジャラン。

100212Fri-14Sun_八ヶ岳_赤岳


冬山の悪いところは金がかかるところである。この冬、シュラフ(寝袋)だけで6万円を失った俺は、特急料金をケチって各駅停車で茅野に向った。ケチりながらビールはギネス、と言う、俺はハタから見るとよく分からん不気味なオヤジである。

茅野でビジネスホテルに一泊し、朝一のバスで美濃戸口へ。朝7時で気温は-17℃。そこからいきなりアイゼンを履いて行者小屋キャンプ場へ向けて歩く。




夏山の地図上の時間とほぼ同じ3時間の林間歩行で、テン場へ到着。まだ午前だったが、10張以上のテント有り。 でも単独行っぽいのは俺の他に1テントくらい。ほとんどがパーティ。

俺もスバヤくテン張り、足慣らしに阿弥陀岳へ登ってみる。このときはガスがかかり、景色はイマイチ。明日本番の装備確認をしつつ、大人しく下山。アイゼンに不備を発見し、テント内で修復。テントでは雪を溶かしてバーボンお湯割&ウィスキーレモンティー割り(マイブーム)と読書で過ごす。





朝、目は覚めるもなかなか起き出せない。7時に漸くシュラフから抜け出すも、昨日登った阿弥陀岳にやっと陽が当たり始め、周囲のテントからも仕方ねえな、という感じで人が出てきている様子であった。冬山の朝は、遅い。(夏山だと6時に起きると、周りにはもう誰も居ない。)

急登の文三郎尾根から赤岳を目指す。-20℃未満でも、急登では汗をかきそうになる。汗をかくと後でめちゃめちゃ寒い思いをすることになるから、所々立ち止まり、写真など撮ってみる。冬山のペースはおのずと遅くなる。





赤岳頂上に近付くにつれ、昨日登った阿弥陀岳や周囲がきれいに見えてくる。ただ風は強く、しばしばピッケルを雪面に打ち込み、耐風姿勢で強風をやり過ごす。

山頂への最後のアプローチ。ピッケルのピック(頭部の尖った方)をフル活用して登る。強風下でも慎重に登れば大した危険はない。



因縁の赤岳へ登頂。ちょっと満足。




赤岳頂上付近からは、気持ちのいい周辺の山並みを眺める。冬山のいいところは、スカッとした遠くまで見える景色があるところである。
↓ 八ヶ岳・権現岳と、その奥に南アルプス北部(左から鳳凰山・駒ケ岳・仙丈ケ岳)。


スキーコースに形取られたハート型が特徴的な富士見パノラマスキー場と、その奥に中央アルプス(左下)。南南西に、富士(右下)。



手前から、横岳・硫黄岳・北八ヶ岳(左上)。先週硫黄岳から下った赤石の頭の尾根、奥に霧が峰、美ヶ原、北アルプス(右上)。

赤岳の後、横岳へのアプローチ。振り返ると赤岳が白より白く輝いていた。

横岳への途中、前日応急処置したアイゼンの不備が悪化。更に応急処置したがサスガに続行する元気が無かったので引き返し、地蔵尾根からテン場へ下った。この下りはあっと言う間。

テントを片付け、前日来た道をそのまま戻る。予定より早かったため、少し急いだら最終一つ前のバスに間に合った。夏山地図表示時間より大分早く下山できたようだ。

美濃戸高原ロッジでバスを待つ間、テレビでバンクーバーオリンピックのモーグル結果を放送していた。


【Note】

-経緯-

冬山はあまり慣れてないし、装備もなんちゃってだし、出張がちで身体もできていないから、この厳冬期にアルプス方面に挑もう、という気は全くない。でも先週一応八ヶ岳・硫黄岳を歩いた訳で、今さら(この冬最後の日本での週末に)低山に行こう、という気もしない。なので、間を取ってやっぱり赤岳になってしまった。茅野駅からのアプローチであれば、アクセスの面でも調べなくてはならないことは(先週と同じだから)減ってくる。冬山は一般的でないから、まず公共交通機関でアクセスできるかどうかから調べなくてはならないから、知らない場所に行くには下準備はおのずと増える。その時期に海外にいる人間には電話が使えないことがネックになって、色々と苦労が増えるので、情けない話だがこの段階でできるだけ既往の方面に足が赴いてしまう。

個人的には赤岳は、恐らく初めて敗退した山なので、とっとと片づけたい、という気持ちが少なからずあった。つい最近までは、甲斐大泉にあった会社の保養所から日帰りできそうなので、「まあ他にすることがなければ行ってやろう」くらいに思っていた。でも不景気のせいでその保養所はこの冬始めに閉鎖された。

登山を開始した山で、未登頂のうちに引き返す、という行為は、今は尊敬すべき行為だと思っているが、当時中学生だった俺には我慢がならなかった。それは中学校の林間学校のオプションイベントの一つで、参加条件は確か「体力に自信のある者」みたいなカンジだったと記憶している。しかし、普段運動しているとも思えない無謀なたった一人のアホのために、頂上を目前にして数十人の体力を持て余した男子(しか居なかったと思う)生徒全員が、長時間かけて登った道を引き返すことになった。

(ちなみに、俺はたまに初心者を挑戦的イベントに参加させるときに冷酷に反対するが、それは当の本人が一番後悔するような損失を他者に与える可能性が高いからである。)

ま、ともかくこれがその、“初めての敗退”で、要は、そのうち登りたいと思っていたワケだ。

-環境-

風速(推定): 0~20m/s
気温(推定): -10~-25℃

天気: 曇り / 晴れ


-装備-

アイゼン(12本、キックステップ有)、ワカン(輪カンジキ)、ダブルストック、ピッケル(55cm)、スノースパッツ、グローブ、オーバーグローブ、目出帽、ゴーグル、サングラス、メリノウール下着(上下)、メッシュ付ウィンドブレーカーパンツ、薄手長袖ウールTシャツ、速乾性フリース(ミズノ)、ULダウンジャケット(携帯のみ・不使用)、3シーズン用皮登山靴、レインウェア上下。

Pix by 俺、最後のはペースが同じだったおじさんが撮ってくれた。

冬山かぁ..


冬山(雪山)は、やらずに済むならその方がいい、と思い、これまで極力避けていた。第一に危険だし、第二に寒いの嫌だし、第三に、冬山装備はめちゃめちゃ金が掛かるからである。


俺は20代前半を北海道で過ごし、雪の怖さは十分知っている。当時の俺の担当教官は雪氷学が専門で、雪崩や雪の結晶の研究をしていた。クリスマスの旭岳(北海道最高峰)で、先生の研究の手伝いもさせてもらったこともある。極地用の、ミシュランマンみたいなダウンジャケットを着込んで、漆黒の夜空から舞い降りる雪の結晶を壊さないようキャッチし、照明ライトで溶けてしまう前に顕微鏡にセットしてその神秘的な造形を撮影したものだった。

話がそれたけど、まあとにかく俺も、雪や雪崩の脅威を科学的に学んだり、また日常を豪雪地帯で過ごしてきたわけだ。

当時、クロカンスキーで白い世界をうろつき回っていた俺は、その頃から何故か単独行が基本だったから、いつ・どこに・どう降った雪が、いま・どこで・どうなっているのか、いつも考え、コレはヤバい、コレならヤバくない、などと判断して野に出て行ったものだ。
(あ、学生寮の裏山で吹雪いてモロ遭難したときは、「ここで死んだら恥ずかしいから意地でも生還するぞ!」と思って命からがら帰ったことを今思い出した。)

普段かなり無謀な俺も、さすがに冬季の本格登山には余り手は出さなかった。日常でさえ、冬の北海道では普段から危険がいっぱいだった。ふつーに酔っ払って玄関前で死ぬ人も必ず毎年居た。今思い出すと、車での外出さえ、遠出の前には天気予報とにらめっこしたものだった。当時俺の居た石狩平野は国内有数のブリザードの発生地で、ちょっと吹雪けばホワイトアウトが日常茶飯事であった。また豪雪地帯で、スーパーで買い物して駐車場に出ると積雪で自分の車がどれか分からない、ということも良くあった。

まあ要は、俺にとっては平地ですら雪というものは十分タイヘンで、山なんてとてもじゃないけど行くもんじゃない、という“正しい”認識があったワケだ。

長くなってきたのでハショるが、日本アルプスの主だった山を歩いてみると、そろそろ海外の山にも手を出したくなってきた。でもせっかくなら富士山より高い山に登りたい、あ、でもそうすっと夏でも雪山だなあ、じゃあ仕方ない雪山やっとっか。

と言うのがまあ経緯である。っていう説明だけで良かったんじゃないの?と言われればそんな気もするが、ときには前置きも重要である。

Pic from google

100210Wed_8-ball league_leg-13


10/02/10: K-TG, game: 2-4, point: 15-17


TGのかち!

100209Tue_クライミング練習_7回目


会社帰りに、恒例のクライミングの練習に行ってきた。
この日は何となく体調が優れず、まあやる気がなかった。
やる気がないと、こういうものは全く成果が現れない。
目標の5.9どころか、5.8、いやいや、5.7でいいや・・・ あれ?5.6くらいできるよな・・・


結局初めてトライした時のレベルすらできなかった。

唯今マイナス成長中・・・・・

100208Mon_MTB_雪中・乗車率5%ライド


T師匠と平日の休みが重なったので、武蔵五日市~Oダワ~O岳~K尾根のロングコースに挑んだ。

Oダワへの林道に入ると、凍てつく氷柱トンネルのお出迎えである。


トンネルを過ぎると、雪。乗ったり押したりでいつもより時間をかけながらもOダワへ。

トレイルに入っても、雪、         ・・・・・ 雪。


押し疲れて、飯。


お、やっと乗れた!            けど、ずり落ちる。              


押す。                  担ぐ。


お、乗れた。                 やっぱムリ。



などとやっているうちに、陽が傾き、


ほとんど乗らないままO岳からY沢に逃げ降りたとさ。

ん?おれたち今日何しに行ったんだっけ?   ・・などと考えてはいけない。

Pix by Tsuru&Koji

100206Sat-07Sun_八ヶ岳_硫黄岳


シリア帰国後間もなく、山には行きたくも気合が入らないし、“送迎&温泉”付きの山小屋泊、と言うかなりだらしない山行をしてみた。



今回やってきたのは、八ヶ岳・夏沢峠の麓、夏沢鉱泉である。

どうせなら、と山小屋主催のパーティー登山に参加してみた。
普段は単独行が多いので、かなり新鮮。



夏沢鉱泉の次のオーレン小屋(閉鎖中だが冬季小屋アリ)に到着、今回目標の硫黄岳を見据える(右上)。


夏沢峠からは稜線を歩く。ストックをピッケルに持ち換える。アイゼンは出発時からつけっぱ。



冷たい強風に晒されるため顔面も覆い、交わす会話も少なく黙々と登る。が、ペースが遅くて寒くてしょうがない。


硫黄岳山腹より、諏訪湖、霧が峰、美ヶ原、北アルプス方面を一望↓。



硫黄岳頂上直下の爆裂火口↓



硫黄岳頂上。同パーティーの人が北八ヶ岳をバックに写真を撮ってくれた。普段単独行が多いこともあって、あまり自分の写真がないので「おぉ!?」と思ったが、結局誰だか分からん写真になった(左下)。



下山は新雪の中をアイゼンからスノーシューに履き替えてずざざぁーっと豪快に下った。


夏沢鉱泉でひとっ風呂浴び、茅野駅への帰途で八ヶ岳(左から夏沢峠~硫黄岳~横岳~赤岳~阿弥陀岳)を振り返る。



次は、赤岳だろおなぁ・・・



【ノート】

 -経緯-
冒頭にもあるように正直まるでやる気が無かったので、この週末は軽く丹沢でも行こうかと思っていた。だが、その時ちょうど読んでいた小説「孤高の人」の主人公、加藤文太郎氏が初めての冬山に挑むのが夏沢峠だったのもあって、俺も初めてアイゼンを履くのはここにしようと思った。

 -環境-
風速(推定): 0~15m/s
気温(推定): -8~-18℃
天気: 曇り / 晴れ


 -装備-
アイゼン(12本だけどキックステップ無し)、スノーシュー、ダブルストック、ピッケル(55cm、硫黄岳には短すぎ)、スノースパッツ、グローブ、オーバーグローブ、目出帽、ゴーグル(スキー用)、サングラス、メリノウール下着(上下)、薄手(夏用)パンツ、薄手長袖ウールTシャツ、速乾性フリース(ミズノ)、ULダウンジャケット(稜線上のみフリースと交換)、3シーズン用皮登山靴(*)、レインウェア上下(*)。
デジカメは低温に弱いので予備電池必要。

(*) 本格冬用装備を揃える金がなくて無理してみた。足先がめちゃ寒かったけど深刻な問題はなかった。

 -行程-
1日目、昼過ぎ茅野駅、午後夏沢鉱泉入り。
2日目、朝7時過ぎ夏沢鉱泉出発、硫黄岳登頂、14時鉱泉帰着。超スローペース。