160725-0902 Alps

7月25日に日本を発ち、26日スイス・ジュネーブ着。同日フランス・シャモニー入りした。

7/27-8/2 の7日間、トゥール ドュ モンブランでモンブラン山塊を一周し、
8/3-13 の11日間、オート ルートでシャモニーからツェルマットまで歩き、
8/15-21 の7日間、マッターホルンなどを眺めながらトゥール モンテローザを行った。

8/22 はエッギスホルンに登り、アレッチ氷河を見に行った。

8/23-24 グリンデルヴァルドから、ベルナーオーバーランドのアイガーやユングフラウなどを眺めて歩いた。

8/25-26 レマン湖畔のモントルー、ローザンヌ、ジュネーブと移動し、スイスを後にした。

8/27-28 フランス・ブルゴーニュで葡萄畑やワイナリーなどを訪れた。

8/29-9/1 の4日間は、パリで美術館めぐりをしながら料理とワインを楽しんだ。

9/2 に帰国。

いまちょっとどうやってまとめようか考え中・・

納豆 v.s 天ぷら

旅行先で、“things to do in xxx..” “places to visit” “what to see” “foods to eat” などとググった方も多かろうと思う。

今回 3か月ぶり、4日半(7/21-25)の日本滞在に向け、効率的にメシを楽しむためにリストを作ってみた。俺の“foods to eat in Tokyo”である。そこでふと思った。日本に来る外国人の“foods to eat”と、どう違うのだろうかと。

試しに海外のGoogleで“foods to eat in japan”と検索してみると、

Sushi, Ramen, Unagi, Tempura, Kaiseki, Soba, Shabu-Shabu, Okonomiyaki, Tonkatsu, Yakitori

など。別の検索結果は、

1. Ramen
2. Okonomiyaki
3. Udon
4. Sushi
5. Yuba
6. Soba
7. Tempura
8. Dumplings ? Gyoza
9. Yakiniku, Yakitori ?
10. Horse
11. Japanese sweets

と言うのもある。他にも色々調べてみたが、寿司、ラーメン、天ぷら、は必ず登場する。

改めて自分のリストを見てみると、(順不同)

納豆、豆腐、ソバ、とんこつラーメン、刺身、ギョーザ、豚キムチ、となっている。
(いつもはここにカレーが入るが、ミャンマーとスリランカの後なのでしばらくいいや、という気分である。あと冬ならおでんも入る。)

寿司(刺身)、ソバ、ラーメン、ギョーザなどはガイジンさん達と俺とは大体同じである。それ以外の、外国旅行者が食おうとしている代表選手は、

天ぷら、鰻、お好み焼き、焼き鳥、となる。

天ぷら、ってどうだろう。平均的日本人が月に何回天ぷらを食うだろう。

? 代表的な和食と言っていいのだろうか。

お好み焼き、これも微妙だなぁ、作り方によって全然違うから。俺はずっと好きじゃなかったけど、あるとき友達に作ってもらってから突然好きになったし。大阪人の同僚は月に一度は絶対家庭で作ると言っていたから、代表的な料理と言ってもいいのかも。

焼き鳥、これは欧米人の経験不足だと思う。アジアを旅したことのある人なら、串焼きの(トリに限らず)肉を珍しがる理由は絶対無い。

結論、共通項を除くと、

俺は納豆が食いたいし、


Touristは、天ぷらが食いたいっ


てことになるのだろうか。


あとはビール(日本のビールは独特である)と日本酒だなぁ。

蛙流れる水の音 - Nuwara Eliya

ヌワラ・エリヤはスリランカ中央部の丘陵地で、イギリス植民地時代に避暑・娯楽・紅茶栽培の要所として発展した。この街は、その冷涼な気候、コロニアル風の建物や競馬場の存在などにより、この島の他の地域とは明らかに一線を画している。

谷を見渡す斜面にぽつん、と建っているシャレー風のホテルに投宿した。脱衣し、冷たい肩をさすりながらバスルームに入ったものの、シャワーより前に洋式の便器に座った。

用を済ませ、トイレに付属している小さなシャワーで尻をすすぎ、紙で拭く。国や地域により、紙をトイレットに流す場合とそうしてはならない場合がある。屑籠が見当たらないので流すべきかと思案しつつ便器の中に視線を落とした。黄褐色、しかし明らかに排泄物ではない嵩の物体が目に入った。



蛙だった。それは少し大きくなり過ぎたナメコ茸のように、弾力と厚みのある茶色と、粘性の光を呈していた。日本のヒキガエルに似ていた。

その蛙はトイレの水溜りにまるで風呂のように浸かり、水面から顔と両前足を出して、罪のない表情で上を向いていた。その黒い瞳は小さな星を輝かせながらこちらを向き、何か言いたいようでもあった。

ああ、俺はこいつの上に排泄しちゃったのか・・ スマン、大変悪いことをした。これ以上の屈辱は無かったかも知れない。逆の立場だったら、と思うとお詫びの言葉も無い。

しかし、これからどうすればいいのか分からない。普通ならそこから出して、窓の外へ逃がしてやったと思う。けど、しちゃった後だからなぁ。自分で汚しておいてナンだが、正直触りたくない。おや、前足を動かしている。こいつが飛び出し、部屋の中を跳ねまわったら汚物だらけになるかも知れない。まずい、じわじわ登ってくる。

あ、そうだ。この地域は下水道が整備されていない(俺はその計画で来ている)。だからこのまま流してしまっても、すぐにそこら辺の環境中に放出されるに違いない。カエル君、ほんのちょっとだけ息を止めていてくれたまえ、すぐに緑の野に放ってあげよう。君もここで「トイレの中のカワズ」でいるより大海を知りたいだろう、行きたまえ!

そう思ったとたん、トイレのレバーを思いっきり下げた。水が一気にカエルの顔面にかかる。なかなか流れない。白濁した水と泡のなかで頑張っている。その必死な姿を見ているうちに思わずレバーを押す力が緩んだ。この蛙はこんな仕打ち受けるだけの悪行をいつ働いたというのか、どこかからバスルームに侵入し、水があったから浸かっていただけではないか。



手がレバーを離れた。しかし消えてゆく泡のなかに、もうその姿は無かった。

返す返すスマナイな、と思いながらもカエル君の行く末を思った。もうそこらの排水路に出ただろうか、それとも川か池だろうか。

待てよ、となるとトイレ排水もそんなに簡単に環境放出されるのか?それだったらここら辺は悪臭が漂っているはずなのでは・・

“ああ、Septic tank!”思わず呟いた。目の前が暗くなった。大事なメカニズムを忘れていた。

下水道未整備地域によく設置される「腐敗槽」である。日本の浄化槽を原始的にしたような下水処理槽である。そこで汚水は“嫌気的に”滞留し、緩やかに生物分解し、上澄水は通常地下浸透される。

さっきのカエル君は、Septic tankに入ってしまったのではないだろうか。その嫌気的環境下ではおそらく長くは生きてはおれまい。とっととその表面を出口に向かって泳ぎ、上澄水とともに流出できたとしても、地下浸透マスが外気と通じている保証はない。いや、普通は臭気を防ぐため覆うだろう。

施設構造に関しては専門外とはいえ、下水のプロジェクトに関わる人間として、最悪の判断を下したことになる。

せめて、レバーをもっと早く手放していれば、きっとキレイになったカエル君だけが残され、無事救出できたのではないか。自分の愚行が悔やまれる。

断末魔のカエル君の必死な姿が目に浮かぶ。流れる水の残酷な音。水の力は大きい。沢で滝登りしているときなど良く痛感する。蛙が水の中で生活している動物であろうと、その水の流れには勝てなかった。(俺が流したんだけど)




俺は恨まれただろう。祟られるかもしれない。しかし今、俺にできることは少ない。せいぜいカエル君の無念を想い、その生き様を後世に伝えることくらいしかできない。

と、いう訳でここに書かせてもらった訳である。



みなさん、トイレは使用前に必ず中を確認しましょう。

Elephant Orphanage - ピンナワラ

日曜午前、キャンディの現場視察を終えると時間が余った。ここは 「仏歯寺」 という世界遺産が有名らしいが全く興味がわかない。代わりに象が見たい。キャンディには象が道を歩いていると聞いていた。

偶然の出会いを待つ時間は無い。確実に見るため、Pinnawaraのゾウの孤児園にやってきた。


孤児、と言っても子供だけでなく、様々な脅威から保護された象がここで暮らしている。


めっちゃ近づける。伸ばしてきた鼻と握手してみた。が、手が泥だらけになった。


基本おとなしいのだが、時々“パォオーン!!”などと吼えて走り出したりするからやっぱりコワい。


昼過ぎ、暑くなるとゾウたちは車道をフツーに歩いて川へ行く。


レストランでビールを飲んでいると団体さんがやって来た。


続々と水に入っていく。


40頭くらい来たのだが、気持ち良さげに水浴びするのも居れば、

鼻でジャレ合う

あまり濡れたがらないのも居るし、


遠くまで行っちゃう奴もいた。

戻る気あるのだろうか・・

 ゾウにも色んなのがいるなぁ。

Sigiriya - 岩上の要塞王宮

スリランカ滞在3ヵ月目にして、ようやく地方出張の機会を得た。

典型的なローカル料理を楽しむ(朝食)

土日の移動でシーギリヤに通りがかったので行ってみた。


現在は階段などが整備されているため20-30分で登れるのだが、当時はどうやって登ったのだろうか。岸壁は相当のクライマーでなければ登れないような被りようである。


後で聞いたら、壁上に煉瓦のステップが付けられていたらしい。確かに壁には人工的な削岩跡が残っていた。


途中の大きなテラスには大きな前足がある。当時はライオンの像があり、喉元から奥に階段が伸びていたと想像されている。シーギリヤの由来はシンハ・ギリヤ(ライオンの喉)との解釈が有力で、この説を後押ししているのだろう。

CGによる想像図

上面に登ると、結構しっかりとした構造の宮殿跡がある。平地は暑かったが岩の上部は風が吹いて涼しく、さぞ過ごしやすい宮殿だったのだろう。


ビアガーデンでもあれば何時間も居られただろうが、世界遺産なので水すら売っていない。


往路のルートで通ったテラス。キャンプしてーとか思ってしまう。農鳥小屋のテン場を思い出す。


“スリランカ” でググるとこういう写真がいっぱい出てくる。どうやらこの国の代表的な観光地のようだ。