161031_Amsterdam

パナマへの飛行機をKLMにすると、当然アムステルダム経由になる。


15:30に到着。少し遅いが、次のフライトが翌日なので街に出てみることに。(ホテルは空港内)


 中央駅の前から発着しているクルーズ船に乗ってみた。


アムステルダムは干拓して作られた町なので、運河が網の目のように発達している。


船は街並みを眺めながら水路をのんびり進んでゆく。


この街の建物の窓は大きく、


前面に荷揚げ用の滑車が付いているのが特徴的である。(競うように運河に対面する建物の間口は狭く、家具の搬入が難しいらしい。)

アンネ・フランクの隠れ家前を通過

運河の上にボートハウスが並ぶ。係留面積が限られ、新規の設置が禁じられているため、権利価格が高騰しているという。


1時間強周ると18時、日没であった。


たったこれだけの市内観光であったが、噂通りチャリが多いのも確認できた。


そういえばこいつも・・

161028Fri-30Sun_小川山RCT&レスキュー訓練

土日の講習に先駆けて、金曜に前乗り。

2パーティーで春の戻り雪5.7を登った。


“初級”マルチピッチ、と言いながら俺はこのくらいでもういいや、という感じ。

下りは懸垂下降

別の岩に取りつこうというところで、予報通りの雨。薪を拾って、長~い宴会に突入・・・


土日は外部講師を招いてのレスキュー訓練。


今まで常識と思っていたことが間違っていたり、かなり意識が変わった。



ロープとデバイスの使い方を学べば、何でもできるような気がしてくる。

161011-22_東北自然探訪 ~ 山と温泉、道の駅。

「毎日登って、ホントに山が好きなんだねぇ。」

などと言われそうだが、そんなことない。起伏の多い山なんて できれば歩きたくない。他に自然が残っている場所を知らないだけだ。

ともかくこの秋、東北の自然を見に出かけた。

有名らしい山を適当にピックアップし、訪ねまわる。計画はそれだけだったが、歩いて汗をかいた後、どこにでも温泉があり、ゆっくり寝られる場所もいくらでもあった。


後部座席をフルフラット仕様にしたエスティマは走る寝室と化し、宿泊は苦労知らず。駐車はどこでも良かったのだが、24hトイレがあって、物産店やヘタすると温泉まであり、芝生スペースやベンチなどもある道の駅が快適過ぎ、信者のように毎日吸い寄せられてしまった。
(鳥海山のコースを変更したのは、当初の登山口でなく道の駅に泊まりたかったから。)

日程 山名 温泉 宿泊(道の駅)
10/11- 13 飯豊山 飯豊温泉(山荘)白鷹ヤナ公園
10/14 朝日岳 朝日町りんご温泉 にしかわ
10/15 月山 鳥海温泉 鳥海
10/16 鳥海山 象潟温泉 みねはま
10/17 白神岳 不老不死温泉 ふかうら
10/18 岩木山 百沢温泉 いなかだて
10/19 八甲田山 酸ヶ湯温泉 かづの
10/20 八幡平・姫神山 焼走り温泉(下) にしね
10/21 岩手山 焼走り温泉(上) はやちね
10/22 早池峰山 ぶどうの湯 厳美渓
10/23 (帰京)

好天に恵まれ、幸運を噛みしめた日々だった。雨に濡れたのは八幡平下山間際の1時間だけだった。

毎日自然を見て歩き、温泉に入り、移動と買い物。道の駅の居心地の良いスペースに陣取りビールを飲む。採ったキノコや道の駅直販野菜など中心に料理し、星や月を眺めながら日本酒を飲んだ。

車中泊は窓を少し開け、モンベルの#3シュラフで快適に寝られた。涼しく虫は全然居なかった。結局一度もテントは張らなかった。

宿泊費はゼロ。出費のほとんどはガソリン代と高速料金、酒代、風呂代。食費は野菜が安かったから微々たるものだった。

服はファイントラックを買い足して2セット持って行ったので、交互に着て洗い、清潔・快適に過ごせた。

161022Sat_早池峰山

岩手山の翌日、早池峰(はやちね)山へ。

当初の予定は下の通りだったが、山頂から河原坊へのルートは閉鎖されていたため、小田越からの往復とした。


登り途中、西には花巻市とその向こうに秋田駒、和賀岳の並びが見えた。東には太平洋、日本海側から二週間かけて巡ってきた。


池、と付く名から池塘があるのかと思いきや、干からびていた。


山頂には避難小屋、夏季の使用は遠慮したほうがよさそうだ。


今回の東北の旅で印象的だった食べ物は、香りが良いニンニクと、堅くて甘いリンゴ。どちらも安かった。


早池峰は東西に長く延びた尾根が特徴的。なのに今回はそれを踏まずに南からアプローチしてしまった。


尾根を縦走すれば楽しかったのだろうが、最短ルート往復では、その片鱗も味わうこともできなかった。もしまた来ることがあれば、避難小屋もあることだし、積雪期の縦走がいいかも知れない。


【行程】 河原坊 - 38m - 小田越 - 1h50m - 山頂(休25分) - 1h20m - 小田越 - (薬師岳方面に最後の写真を撮りに行く、往復25分) - 28m - 河原坊 (計5h)



下山後、宮沢賢治のイギリス海岸に寄ったが、白亜の地層は見えず。。

翌日、あわよくば栗駒でも登ろうと登山口まで行ったものの、濃い霧が晴れず、そのまま帰京した。

161021_岩手山

岩手山。はるか鳥海山、八甲田山から眺めた山。目立つものは気になるものだが、ようやく登る日が来た。


焼走りからアプローチ。真っ黒な溶岩と紅葉、白い頂が青空に映える。


裾野は紅葉、山の麓の裾模様。しかし何故、モミジはこれ程までに美しくなければならないのだろうか。

濃いも薄いも数ある中に・・

ホオノキの葉裏は撥水性なのだろうか・・?


登ってゆくにつれ、樹霜の世界へ。


冬山の風物詩、エビの尻尾がもう。・・寒い。


山頂は噴火口、お鉢めぐりができる。


ダウンパンツまで着ても震えが止まらなかった山頂から下降すると、やはり暖色の林と陽だまりが待っていてくれた。


裾野は紅葉、山頂は霧氷の世界。東北の秋冬を一日で感じることができたかな。

【行程】 登山口 - 3h35m - 山頂 - (お鉢めぐり)40m - 1h55m - 登山口

161020_八幡平・姫神山

八甲田の翌日、八幡平と姫神山を歩いた。

大きな両翼を広げたような姫神山、その姿が視界に入ると何度でも振り向いてしまう。


午前中は霧の八幡平を歩いたが、岩手側に下ると天気は良かった。


目を奪うクッキリとした極彩色の山も美しいが、淡くくすんだ雑木林も心落ち着くもの。


弾力のある黒土の上に積もった落ち葉を踏み、サクサクと小気味良い音をたててみる。


ウィンドブレーカーも脱がずに、ゆっくりと歩いた盛岡郊外の低山。頂上からは、対峙するように岩手山が。


そうそう、八幡平ではサンゴハリタケモドキが採れたので、

掌大が3つも(俺の手はでかいよ)

クリーム煮にして晩のメインディッシュに。

早く次の秋が来ないかなぁ

161019_八甲田山

お岩木山の翌日、酸ヶ湯(すかゆ)温泉にやってきた。もちろん臨むは八甲田(北八甲田連峰)である。


駐車場の空気は着替えるのが億劫なくらい冷涼であったが、すぐに心地良い日差しに包まれた。


他の東北の山々のように緩傾斜が多く、どんどん進む。当初、下の行程を予定したが、澄んだ空気と眺望に魅せられ、小岳の先の高田大岳まで往復、さらに大岳の後、赤倉岳まで寄り道してぐるっと大回りすることにした。


仙人岱から、あまり大きくない大岳を横目に、 


やっぱり小さい小岳に向かう。


小岳から、さらに奥に見える高田大岳。


途中、右手には南八甲田のなだらかな山並み(トレランで行ってみたい!)と、その向こうに十和田湖(白く雲がかかっている)、さらに岩手山のシルエットが見える。


左手には、“死の彷徨”の雪中行軍が遭難した丘陵地と、奥には下北半島の恐山周辺も見渡せた。


高田大岳から振り返ると、左から小岳、大岳、井戸岳 - 赤倉岳、左奥に岩木山。


仙人岱まで戻り、大岳へ。

青森市と津軽半島、下北半島の先端まで見えた。

すこし左には岩木山、その麓に弘前市、右は青森市。この南には白神山地、さらに鳥海山も見えた。


赤倉岳経由で宮様コースを辿れば、毛無岱へ直接出る。


毛無岱(上)から同(下)を見下ろすのは独特の眺めだ。

東北のハイカーは尾瀬に行く必要はない

ほどなく、黄金色に包まれた酸ヶ湯に下山する。


この日の山行は、本州最北に連なる山々の地理、山容、地勢、風土、植生、色彩、眺望などの特徴を改めて吟味する上でも、今回の山旅のクライマックスだった。

これまで、この東北の比類なき山々を知らずに、少しは日本の山を知ったふうに感じていた自分が恥ずかしい。今まで俺が登っていた山は何だったんだろうか、とさえ思った。

下山後、十和田湖から見た八甲田。

【行程】 酸ヶ湯温泉 - 1h05m - 仙人岱 - 1h00m - 高田大岳 - 1h05m - 仙人岱 - 30m - 大岳 - 40m - 赤倉岳(休 25m) - 1h45m - 酸ヶ湯温泉




ところで、八甲田といえば自ずと想起する、


世界山岳史上最多といわれる犠牲者を出した遭難事件。件の五連隊は、210名中 死亡者は199名であったが、生存者も居ただけにその記録はリアリティに溢れ、それに基づく小説・映画の内容は生々しい。


下山後、その地に寄ってみた。無雪期は何てことない平和な丘である。

記念館には、行軍中(左)や、事後捜索中(右)などのリアル写真が展示されている。

遺体発見の様子(左)や、生存者(右)の写真も。

両連隊の装備も。

太平洋戦争開戦の経緯とかも思いだし、日本人の集団心理や愚かな指揮系統の一面を再確認した。

雪山は怖い。が、ヒトはもっと恐ろしい。