冬山かぁ..


冬山(雪山)は、やらずに済むならその方がいい、と思い、これまで極力避けていた。第一に危険だし、第二に寒いの嫌だし、第三に、冬山装備はめちゃめちゃ金が掛かるからである。


俺は20代前半を北海道で過ごし、雪の怖さは十分知っている。当時の俺の担当教官は雪氷学が専門で、雪崩や雪の結晶の研究をしていた。クリスマスの旭岳(北海道最高峰)で、先生の研究の手伝いもさせてもらったこともある。極地用の、ミシュランマンみたいなダウンジャケットを着込んで、漆黒の夜空から舞い降りる雪の結晶を壊さないようキャッチし、照明ライトで溶けてしまう前に顕微鏡にセットしてその神秘的な造形を撮影したものだった。

話がそれたけど、まあとにかく俺も、雪や雪崩の脅威を科学的に学んだり、また日常を豪雪地帯で過ごしてきたわけだ。

当時、クロカンスキーで白い世界をうろつき回っていた俺は、その頃から何故か単独行が基本だったから、いつ・どこに・どう降った雪が、いま・どこで・どうなっているのか、いつも考え、コレはヤバい、コレならヤバくない、などと判断して野に出て行ったものだ。
(あ、学生寮の裏山で吹雪いてモロ遭難したときは、「ここで死んだら恥ずかしいから意地でも生還するぞ!」と思って命からがら帰ったことを今思い出した。)

普段かなり無謀な俺も、さすがに冬季の本格登山には余り手は出さなかった。日常でさえ、冬の北海道では普段から危険がいっぱいだった。ふつーに酔っ払って玄関前で死ぬ人も必ず毎年居た。今思い出すと、車での外出さえ、遠出の前には天気予報とにらめっこしたものだった。当時俺の居た石狩平野は国内有数のブリザードの発生地で、ちょっと吹雪けばホワイトアウトが日常茶飯事であった。また豪雪地帯で、スーパーで買い物して駐車場に出ると積雪で自分の車がどれか分からない、ということも良くあった。

まあ要は、俺にとっては平地ですら雪というものは十分タイヘンで、山なんてとてもじゃないけど行くもんじゃない、という“正しい”認識があったワケだ。

長くなってきたのでハショるが、日本アルプスの主だった山を歩いてみると、そろそろ海外の山にも手を出したくなってきた。でもせっかくなら富士山より高い山に登りたい、あ、でもそうすっと夏でも雪山だなあ、じゃあ仕方ない雪山やっとっか。

と言うのがまあ経緯である。っていう説明だけで良かったんじゃないの?と言われればそんな気もするが、ときには前置きも重要である。

Pic from google

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