Inle Lake -1/2 湖の村

ミャンマーの年末年始に休みは無い。が、クリスマス(25日)が休みなので土日と併せた3連休、涼を求めてインレー湖にやってきた。


ここの面白いところは、湖の中に村があることである。その中を手漕ぎの船で巡ってみる。


水草がさながら垣根となり、水の道を作っている。人々は当然船で移動する。


2階建ての大きな家も。

立派(?) な電線・電柱も。

“大通り”はエンジン付きの船も通るので通行注意。


網を繕っている人がいたので、漁業が主なのかと思えば、

トマトの“水耕栽培”農家も

建築中の家

水上生活というのは恐らく違法なのだと思うのだが・・

小さな陸地に学校もあった。

ここで人々はどんな暮らしをしているのだろうか。面白そうだが出不精になるだろうな・・ かけっこも苦手になりそうだ。


湖の周りは丘陵となっている。平地しかないヤンゴンとは趣が異なる。標高が高く涼しく、いつもそよ風が吹いている。木陰で飲むビールやワインが美味しい。地元の人は長袖が多い。


ミャンマーに来て、びっくりしたのはワインが美味しいことだ。そして俺がヤンゴンで毎週飲んでいるソーヴィニヨン・ブランのワイナリーがここにある。

テイスティングもでき、レストランも併設。

そんな丘陵地をトレッキングできるらしい。が、今回はとことんダラけることにしたので、せいぜい乗馬でお散歩。


平地は馬車や、貸自転車で移動。


何もしなくても気持ちの良い、来て良かったなぁ、と何度も思った湖畔の街・ニャウンシュエであった。

ルーフトップのあるホテルでのんびり

Inle Lake -2/2 Shan Food

インレー湖はシャン地方にある。シャン料理はヤンゴンのある南部よりアッサリしているのが特徴らしい。

ヤンゴンでも食える代表的料理は、シャン・カオスエ、朝食の定番。

モチモチした麺はうどんのようだが、米麺。

ワイナリーで何気なく頼んだサラダは、トマトサラダ。何これ、ウマっ 創作料理か?と思ったのだが、


翌日、街の定食屋で頼んだシャン・カレーセットについて来たのもトマトサラダだった。どうやらシャン料理の定番らしい。グリーントマトを使うのが特徴的。別にクリスマスだから、という訳ではない。


ならば、と宿で紹介された料理教室に電話。件のトマトサラダも作れるという。


カンボジアで行った料理教室と同じく、市場での調達から始まる。

あったあった、赤と青のトマトちゃん!

一緒に参加したヨーロピアンが“ブルーチーズの様だ”と評した豆でできた食材、買い忘れた!!


肉や魚もすべからく購入。


ベジタリアンには、ヒヨコ豆で作った黄色いシャン豆腐を


コリアンダーも使う。ベトナムのパクチーより小さく、繊細。

買わなかったが、グリルしたネ○○の開きも売っていた。

この日参加したのは、イギリス、イタリア、日本(俺)、スペイン(4)、アメリカ(5)の12人。
日本と同様、アメリカ人の休暇は短く、旅先で会うことは少ないのが普通だがミャンマーには何故か多い。別の機会に一緒に飲んだ男もアメリカ人だった。


シャンカレーをメインに、ダンプリングやサラダを作る。

わいわいと楽しく作った料理たち。

カボチャカレー


ナスカレー


淡水エビカレー


少し脂っぽく、フツーのミャンマーカレーっぽかった Fish と Chicken


あれ?一番うまかったネギ・ダンプリングの写真が無いぞ? ・・何やってんだ、俺。

あとトマトサラダは前に食ったほど上手く作れなかった。再現するには要検討。

151201-160120_Yangon, Myanmar-2

ミャンマーの首都、ヤンゴンにやって来た。

とフツーに書いて気付いたが、首都はどっかに変わったらしい、要は主要都市にやってきた。


前に「ビルマの竪琴」を挙げたが、その戦争で日本は負け、ビルマは英国統治の時代を迎えた。

左の City hall は俺の職場でもある。

その頃の名残が、ヤンゴン市内に散見される。汗と屋台のアジアと、整然とした英国調コロニアルの融合がこの街の特徴とも思える。


さりとてヤンゴン随一のランドマークは、やっぱりパゴダなのだ。


ヤンゴンをふらついて、いいなぁ と思うのは文化遺産にもなりそうな植民地時代の建物がボロボロと、しかしイキイキと使われていることだ。


機能美と言う点から見れば、ただの見ものになっている世界遺産なんかより確実に美しい。

ただの裏通りを歩くのが楽しい

12-1月は最も過ごしやすい時期と言われ、日中は暑いが日陰に入れば過ごしやすく、朝夕は爽やかな風が心地よい。


文明に毒された眼から見ると、ヤンゴンに遊び場は少ない。しかしここの人は何も使わずに家族・恋人・友人とともに、また一人で楽しく時を過ごしているようだ。


ヤンゴンの朝は早い。涼しいうちに活動し、昼は寝て過ごし、夕方また動き出す人達も多い。


そんな訳でナイトマーケットも連日遅くまで賑わっている。オープンテラスのバーなどもあり、夜もやはり過ごしやすい。

夜風がサイコー

ナイトクラブなんかもあるのだが、営業時間が遅くて行ったことはない。

ミャンマーはビルマ。

初めての国に赴くとき、先行イメージの大部分がかつて観た映画、ということは良くある。しかも喜ばしくないことに何故か戦争映画が多い。
シリア : アラビアのロレンス
ベトナム : ディアハンタープラトゥーン他多数
カンボジア : キリングフィールド
ロシア : 二百三高地、坂の上の雲

例にもれず、今年8-9月に初めてやって来た(今回は2回目)ここミャンマーも、知っていたのはほぼ『ビルマの竪琴』だけ。

この度数十年ぶりにこの映画を見直してみた。映像の力というものは恐ろしいもので、いくつものシーンがかなり正確に記憶に残っていた。

隊から逸れ、僧に扮して彷徨う水島上等兵

“ 私は、ビルマの山河に散らばっている同朋の屍を残して帰ることができなくなったのです。

井上隊が歌う「荒城の月」に、水島は思わず竪琴を弾く

“ 皆様に頂いたインコが、時々私の肩の上で、「おおぃ水島、一緒に日本に帰ろう」と叫びます。
その度に私は、はっと致します・・・ ”


“ 私は、帰る訳にはいかないのです。

私は、幾十万の若き同朋の、今は無き霊の久安の地を作るために残ります。


東洋太平洋の多くの国ともそうであるように、日本はミャンマーと戦争という形で深く関わっていたのだろう。