頭痛 ~なぜ、“頭”なのだ。


そもそも、頭痛と言うものは一体ナンなのだろうか?大体、何のために頭を痛くしなければならないのだ?

類似する他の例を見てみよう。

例えば腹痛、これは胃腸に難を来たしている事を示唆するわけだから、原因を探り、対処法を考えるヒントにもなるのだから大いに意味がある。

タバコを吸い過ぎれば胸痛がして少し控えようと思う。膀胱が痛ければもうこれ以上おしっこをガマンしてはマズい、という身体の状況が単純に理解できる。

つまり、大抵の痛みはその原因箇所が痛くなる。だから我々は腹が痛ければ「あ、何かヘンなもん食っちゃったかな?」などと思うわけである。

じゃあ頭痛は我々に何を訴えかけているのだろうか。

例えば、薄着をしていて風邪を引いたとする。このとき、寒気を敏感に感じ取らなかったカラダの方じゃなく、何故アタマが責任を取って痛みに苦しまなくてはいけないのだ。


頭痛にはこういう何か釈然としない悔しさがある。この不平等感がたまらなく納得できない。