Makassar_Indonesia_01
インドネシアへ やって来た。
「次はどこ?」-「インドネシアです、また」
「インドネシアの?」-「スラウェシというところ、セレベスとも言いますが。」
「スラ・・ はぁ、うん、へえ・・・」- と、言う反応が まあ普通である。他人はともかく、派遣が決まる直前まで、当の本人も次の任務地が地球上のどの辺りに在るのか知らない時もあるから、仕方がない。
インドネシアは、まだいい方だ。少なくとも国名で聞き返されることは無いし… まあとにかく、インドネシアはスラウェシ州の主要都市、マカッサルへやって来た。成田からジャカルタへ8時間、空港で一泊し、翌昼ジャカルタから2時間程度で到着する。バリにもわりかし近い。次はバリ経由にしようかな。
個人的には、スラウェシ島は地図上ではギリギリ知っていた。この独特の形、“CとKの合いの子”みたいな形と、その“C”が赤道を挟んでいることから印象に残っていた。
スラウェシが国際的に知られているとすれば、むしろ北東端のマナド(メナド)の方ではないかと思う。マナドはマリンダイビングが盛んで、日本からもそれなりに観光客が訪れるらしい。
マナドは、植民地時代の影響から混血が多く、イイトコ取りの美人が大変多い土地だ、という話はバリに居た頃から耳に入っていた。美人にあやかって、“メナード化粧品”が名づけられた、という話も聞いた。
Makassar_Indonesia_02
海峡に沈む陽を見守る街、マカッサルにやって来た。
Makassar_Indonesia_03 珍太、来た。
インドネシアの国語は、何を隠そうインドネシア語である。
今まで、アラビア語、フランス語、中国語、韓国語、ベトナム語圏などにも赴いたが、英語を除けばインドネシア語が一番簡単に感じる。 *)スペイン語圏にはまだ行ったことがない
何故かというと、表記がローマ字、発音がラク、文法が単純、だからである。
インドネシアはそもそも約2万の島々に分散する多民族国家であり、存在する言語は約600。インドネシア語は共通言語として用意されたものだから、シンプルにできているのは、まあ当然な訳である。
ローマ字だから発音もヘボン式を基本に、独特の発音さえ押さえて読めば通じるので、そういう意味でも楽である。
Saya は“私”の意味で、“Saya mau teh panas(私・欲しい・茶・熱い)”などと主語としても使うが、“Ini untuk saya?(これ・~のため・私 = これ私に?)”のように目的語になっても格変化しない。また、Be動詞もないから、ほぼテキトーに単語を並べるだけで十分意味が通じてしまう。
さらに、“Jalan ini ok? (この道でいいの?)” “Jalan-jalan saja(ちょっと散歩へ)”や、
“Ada pen?(ペン持ってる?)” “Kamar kucil ada di sana(トイレならそこにあるよ)”などと、一つの単語で色々応用が利くから語彙は少なくて済むので、もうほとんど暗記力のないオジサンにはとても有難い。
発音も難しくないから、耳に入ってきやすいし、言いやすい。
“プランプラン(ゆっくり)” “カナン、キリ(右、左)” “イカン(魚)” “サンパイ(~まで)” “キタ(私たち)” “キラキラ(だいたい)” “ポトン(切る)”
などはまるで日本語のようである。
ある日街を歩いていると、哀愁漂うメロディーとともに、「珍太~来た~」と歌う声が聞こえてきた。
ナンだ!? とその時は思ったが、考えてみるとあれは多分、“Cinta kita(愛・私たち = 私たちの愛)” だったのではないかと思うのである。
Makassar_Indonesia_04 とこなつのしま
スラウェシは常夏の島である。
常夏の国、というのは何となく無条件に憧れの対象になってしまう気がする。
そういや20代の頃、熱帯雨林やサバンナで半年以上暮した事があるが、上半身ハダカ・裸足の生活は最高だった。
トコナツ、というのはいかにもトロピカルな響きであるが、ココナツに似ている、というのも一因になってる気がしないでもない。
Makassar_Indonesia_05 山間部
西の海峡に沈んだ陽が、翌朝東の山並から昇りマカッサルに朝を告げる。
(実際はアザーン(街中に響き渡るムスリムの読経)で夜明け前に起こされることが多い。)
この地域の山地は標高3千m近くにもなるが、森林限界を超えることはなく、登山もされていないようだ。
トレイルを歩くには沢沿いの生活道路をJalan-jalan(散歩)するのが良い。
Makassar_Indonesia_06 すだ、まかん?
Suda (already) Makan (eat) ? ~ 昼時の挨拶。
スープの具は部位を指定できるが、こだわりのない人はチャンプルー(ミックス)を頼むことが多い。また肉のみでなく、臓物系も堂々と市民権を得ているところが日本発モツ煮愛好家の俺には堪らなく嬉しい。
ちなみに俺のホテルは朝っぱらからこの“水牛モツ煮”を出してくれる。 夜食いたい…
COTOは、ライムとサンバル(唐辛子ペースト)、小葱、フライドガーリックをお好みで投入して(俺はありったけ入れる)、汗をだらだら流しながら「ペダス(辛い)・エナック(うまい)・パナス(暑い)!!」と悶絶しながら食すのが基本である。 ような気がする
どうせ暑いんだから、熱いスープを辛くして楽しみゃいいのである。
Makassar_Indonesia_07 沖の小島で、ぷらんぷらん。
雨季の晴れ間の週末、マカッサルを離れて沖に出てみた。
ジャランジャラン(散歩)したり、サンゴ礁でスノーケリングなどして腹が減ったら、食堂もないので漁師さんから魚を買って、そこらのオバちゃんに焼いてもらって食事にする。
トロピカルフィッシュの塩焼きはちょっとグロいが、味はフツーの白身魚である。
このときに出してもらったサンバル(唐辛子のペースト)が妙~においしくって、お代わりまでしてカレーの如く白米と一緒に汗だらだらかきながらガツガツ食ってたら、何度もTerima Kashi! と言われてしまった。
(ちなみに公衆トイレもないので村人の家で借りるのだが、これがまた実に親切に貸してくれる。)
食ったから、寝る。そのまま木陰の竹の座敷の上で、まどろみながら思った。“赤道近くでこんな気持ち良く昼寝できるのに、ナンで東京の方が暑いんだろう…”
*) サンバルは、コチジャンや豆板醤のようなもので、通常オカズになるものではない。
*) Terima Kashi テリマカシ は、「ありがとう」の意。この時もそうだが、こちらこそお礼を言わなくてはいけない時に良く先に言われてしまう。Terima Kashi の返し言葉はSama-sama だが、これは「同じ(私もです)」という意味であり、感謝の気持ちは両者ともに同じ、という協調の意識の強いインドネシアの人たちの心を良く表わしているように感じる。