遥かなる隣人・ロシア
ロシア、と聞いてぼんやりとしていた。なにか自分には関係のない遠い国、という気がしていたのは否めない。
いま、出張を命ぜられた自分が改めて驚いているのはロシアという国がとても“近い”国であるということだ。地理的な意味だけでなく、文化・芸術・歴史的にもである。
だいたい、知らない国、というほどに知らなくもない。
教科書的に記憶にあるのが、ナポレオンのロシア遠征や革命家レーニン。
芸術系ではチャイコフスキー。
そしてロシアといえば、ラフマニノフ。
作家も多い。ドストエフスキーとか、
トルストイ。チェーホフ、ツルゲーネフもロシアでしたね。
小説と言えば、井上靖の「おろしや国酔夢譚」。江戸時代の商人が漂流先のロシアを(往復で)横断、帰国するまでの壮絶な記録、緒形拳主演で映画にもなった。
映画と言えばタイガに生きる男たちを描いた、黒沢明の「デルス・ウザーラ」もありましたネ。
歴史に戻り、近代ではもちろん日露戦争、旅順、203高地。バルチック艦隊が目指していたのが、ウラジオストク要塞。
日本軍の奇跡的な勝利を物語として描いた、司馬遼太郎の「坂の上の雲」。
石原さとみの役が中途半端でした・・
現代ではやはり、ちょっと前のイメージではスパイもの・・
ゴルゴでもロシアねたは多いですネー
とにかく“KGBの長い腕”が俺の首に回らないよう、粗相のないよう気を付けマス!
131130Sat-1207Sat_Владивосток
ウラジオストクにやって来た。
まず空港のキレイさにびっくりする。
空港から街までは遠い、と聞いていたが立派なフリーウェイが在って、難なく市街に到達する。2012年に開催されたAPECサミットの時に整備されたらしく、その前とは雲泥の差があるらしい。
今回30分しか掛からなかった道は、APEC前、ひどい時は3時間かかったそうだ。
ウラジオストクの街に入る。ロシア最初の街の印象は、“綺麗”だった。
ホテルの部屋に入って見回すとエアコンが無い。ふと目をやると学生寮時代を彷彿とさせるスチームヒーティング。すかさず洗濯物と濡れタオルをかけて乾燥防止。
翌朝は日曜。昼までミーティングで、午後街に出てみる。唯一の観光のチャンス。
気温は氷点下だが風が無い時は暖かい。
ウラジオストク駅
ここから、あの長いシベリア鉄道が始まる。ってか終わる。
駅前の屋台ではピロシキを売っていた
駅前のレーニン像、のちに浄水場とかでも見かけた。
“東洋(?)のサンフランシスコ”と呼ばれるだけあって、坂が多い。
街はヨーロッパ風
まだ暖かい(最高気温0℃くらい)日曜日、街を歩く人が多い。若いカップルも目立つ。
若い女性は皆スタイルがいい。ファッション誌から抜け出してきたようだ。
街並みに似合うのがニクい
コンビニは無い。スーパーがちらほらあるが、いちばん多いのはキオスク風の小さい店。
広場には仮設市場もあった
街はきれいで、ゴミひとつ落ちていない。
馬がフツーに歩いてた
少年少女もどことなく大人っぽい。やっぱコート・パンツ・ブーツは手足の長い人によく似合う。
でもちゃんと子供らしくはしゃいでました
カフェで休憩、昼間っからウォッカとか飲むイメージは消え失せた。
海岸通りに出てみると、風があって寒かった。
向こう岸から続く雄大なユーラシア大陸
毛皮の帽子をかぶっている人は少なかった。たずねると「まだ寒くないから」かぶっていないのだという。
ロシア料理 ~ピロシキ・ボルシチ・ぷりぷりニシン
成田からウラジオストクへ飛ぶと夜に到着する。さてロシアの酒はどうだどうだ、どうナンダ!とコーフン気味にホテル内のレストランに向かう。
とりあえず驚いたのはビールがウマい!炭酸が弱めで時間がたっても抜けないから好きなペースでゴクゴク飲める。しかも意外なことにドラフトもある。ドラフトは濁っていてフルーティな風味。黒もウマい!
結局初日はビールだけでウォッカまでたどり着かなかった・・
ウォッカはやはり小さなグラスに入れて一気にあおって喉に流し込む、というのが正式と言うか、そう飲まないと周囲は気持ち悪く思う、と言われたので最初のうちは買ってきて部屋でコソコソ飲んだ。
やはり割らないとコワかったのでカクテルにしてチビチビ飲む・・
コソコソ、チビチビ、俺の人生はやっぱりウダツが上がらないナ・・
持参のホワイトキュラソーでバラライカなど作ってみる
ちなみにロシアでウォッカをカクテルに使う、というのは一般的でないらしい。モスコ・ミュール、ブラックルシアン、バラライカなどという飲み物は聞いたことも無いそうだ。
伝統的ソフトドリンクにはクワスがある。黒パン(!?)からできている微炭酸飲料。
軽いコーラのようでスッキリ飲みやすい。
さて食いもんはどうか、さっそく街の屋台でピロシキを買ってみる。30ルーブルのと50ルーブルのがあったので、50の方を買ってみたら・・ デカい!ずしり、と重い手のひらサイズ。中身はジャガイモとキャベツを煮たのとソーセージ。(1ルーブル=3円)
あっさり塩コショウだけの味付け(たぶん)だが一口食ったら止まらなくなった。一個でお腹いっぱい。
昼飯は仕事の拠点であった水道局の食堂で食うことが多かった。トレイに流れ作業的に好きなものを取っていくスタイルは万国共通だ。
ホワイトソースのパスタに鮭のフライ。それにピロシキ(中身はキノコとかチーズとかジャガイモとかの日替わり)と蕎麦の実の入ったスープ。
これで360円、安くてうまいゾ!
別の日、蕎麦の実(蒸してあるか茹でてある)にカツレツと白身魚のフライ、ピロシキ、サラダ、そしてボルシチ。これちょっと食いすぎ。
値段も700円近くした
食堂でもつい美人探しをしてしまう・・
この食堂は安かったが、断っておくとロシアの物価、特に食費は決して低くない。まともなレストランで食事するとフツーに2000円くらいする。酒も頼むと3000円くらい。
ついに食べました、ビーフストロガノフ。
さてロシア料理といえば、以前から知っていたピロシキ、ビーフストロガノフ、そしてボルシチ。
何故かいつもヌルーく出てくるボルシチ、赤カブの色が鮮やか。
そしてロシアの水餃子。なぜかサワークリームをつけて食べる。
ショーユのほうが絶対合うと思う。(個人的にはポン酢使ってますが・・)
『のだめカンタービレ』でロシア人ピアニスト、ターニャが作ってました。
その代わりにおいしかったのがニシン。あの骨だらけ、とか身欠きにしんのバサバサした、とかあんまいいイメージが無く、個人的には魚ランキング内でかなり下位だったニシンが何故かうまい。オイル漬けでプリプリっと弾力があり、あっさり塩味で後を引く。
レストランのサラダで虜になりスーパーで買ってきた。日本にも持ち帰りご飯に乗せて食べた。
現場回りで時間が無かったとき、入ったカフェで「何でもいいから早く!」と頼んだら、出てきたのはパンと、やっぱりボルシチ。
ロシア人はホントにボルシチが大好き!
問題は発音で、а, к, м, о, т, などローマ字とほぼ同じ発音のもあるが、
в→ v
н→ n
р→ r
с→ s
у→ e
х→ h
などと置き換えなくてはならないと知ってびっくり。こいつらは下手に知っているから逆に厄介だ。
さらに、独自な文字も出てくると少々パニくる。
б→ b
г→ g
д→ d
з→ z
и→ i
л→ l
п→ p
ф→ f
ю→ yu
я→ ya
ただ馴れると結構読めるようになってくる。パズルのようでおもしろい。
では、これは何でしょう。(ヒント:我々デス)
японский
ちなみに、“j”の音が無いので“dz”で表す。ビザを見たとき、“koji”が“кодзи”になっていた。まさか自分の名前に´゚д゚`)エエー! の“д”が入っているとは思わなかった。
щ(゚Д゚щ)の“щ”もキリルで「シチ」に似た音で読む。たとえばボルシチは、“борщ”と書く。
さて、しゃべりのほうはどうか。
例えば、ズドラーストヴィチェ(こんにちは)は覚えるのに時間が掛かったが、スパスィーバ(ありがとう)、ダイチェ・エト(これください)などはすぐに使える。
ちょっと日本語に似た言葉もあって面白い。例えば、空になったビアグラスなどを指差して「イッショ」と言えば一緒のものも持ってきてくれるが、実は“もっと”と言う意味だ。
そういえば食堂でメシを選んでいるときにこんなことがあった。
これにはウケた。
しかし、ただでさえ良くない俺の評判はさらに落ちてゆくことに・・
ある店でウェイトレスに覚えたてのロシア語で写真を撮らせて頂く許可を得る。
照れくさそうに「モジュナ(いいわよ)」と言ってくれた彼女。シカシ表情がカタい。
後で彼女はまだ高校生だと聞く、フ・・ 大人っぽい。
『宇宙兄弟』より
ロシアで体験したヒビトの気持ちがよく分かった。
ウラジオストクのヤポンスキー
ウラジオストクは地理的に近い、本当に近い。往路2h45m、復路2h25mのフライト、なんていう海外出張は初めてである。
前に日露戦争を引き合いに出したが、この都市はもともとホンマもんの軍事都市である。何しろ“ウラジオストク”という言葉は、「東方の支配」という意味らしい。
ちょっと名前が恐ろし過ぎる。「あ、ぼく“樺太返せ”市の出身です、とか「こないだ“東シナ海オレのモノ”県に出張しました」とかあんまり聞かないから日本には無いと思われる。
今でも湾には軍艦がいっぱい
なのでやっぱり、歴史的には敵国。それは実際紛れもない事実で、平和条約も無いから地形図なども入手できず、仕事上の障害も実際あった。
一方ヤポンスキー(Japanese)の技術は広く認められており、我々はどこへ行っても歓迎された。「これを日本ではどうやっていますか?」などと技術者の態度はとても謙虚だった。
さすがロシアは先進国。何が問題なのか、何が大切で何が足りないのか考えている。ODAで行く途上国では感じたことが無かったが、ロシアの人はマジメで先見的。姿勢が全然違う。
浄水場で困った時にだけ使う、と言っていた薬品は日本製だった。ちょっと高いらしい。
街を走っている車で一番多いのは日本車。故障しないので現場でも大いに活躍していた。
俺のチャリンコを見てくれ!という作業員に付いていくと、MIYATAの自転車だった。
現場で「何か困っていることはありますか?」と聞くと、答えは「機械を全部日本製にしたい」だった。(評判は悪いが国産・中国・韓国製の方が安いから多く出回っている。)
いいものが求められる世界がまだあるんだなぁ、ヤポンスキー、ハラッショー!
´゚д゚`)!ロシア語だったんかい!?
ロシアからメールをもらって、最初にびっくりしたのはその文字(キリル文字)だ。アルファベットみたいなもの、と思っていたが良くみるとかなり違う。
まあでもアラビア文字とかラオ文字はお手上げだったが、形が識別できるだけ救いはある。
↑シリアで使った名刺の一部、本名デス。 ラオ文字も読む気力がわかない。
問題は発音で、а, к, м, о, т, などローマ字とほぼ同じ発音のもあるが、
в→ v
н→ n
р→ r
с→ s
у→ e
х→ h
などと置き換えなくてはならないと知ってびっくり。こいつらは下手に知っているから逆に厄介だ。
さらに、独自な文字も出てくると少々パニくる。
б→ b
г→ g
д→ d
з→ z
и→ i
л→ l
п→ p
ф→ f
ю→ yu
я→ ya
ただ馴れると結構読めるようになってくる。パズルのようでおもしろい。
では、これは何でしょう。(ヒント:我々デス)
японский
ちなみに、“j”の音が無いので“dz”で表す。ビザを見たとき、“koji”が“кодзи”になっていた。まさか自分の名前に´゚д゚`)エエー! の“д”が入っているとは思わなかった。
щ(゚Д゚щ)の“щ”もキリルで「シチ」に似た音で読む。たとえばボルシチは、“борщ”と書く。
さて、しゃべりのほうはどうか。
例えば、ズドラーストヴィチェ(こんにちは)は覚えるのに時間が掛かったが、スパスィーバ(ありがとう)、ダイチェ・エト(これください)などはすぐに使える。
ちょっと日本語に似た言葉もあって面白い。例えば、空になったビアグラスなどを指差して「イッショ」と言えば一緒のものも持ってきてくれるが、実は“もっと”と言う意味だ。
そういえば食堂でメシを選んでいるときにこんなことがあった。
しかし、ただでさえ良くない俺の評判はさらに落ちてゆくことに・・
ちょっと盛ってますがw