フィリピン、ちゃりんこ放浪記。

130421-0510_Philippines

フィリピンに来てみた。(プライベートである)

一度来たいと思っていた国である。



仕事でご一緒した数十年もODAをやっている人が、「今まで行った国で一番良かったのは?」と尋ねたら、「フィリピン」と即答した。

英語が通じる。

美人が多い(らしい)、特にスペイン系と中国系。

スクーバダイビングの好スポットが多い。

登山もできる(のかな?)。

チャリンコのツーリング記録が見つかった。

「何もない豊かな島」という既読の本の舞台に行けるかも知れない。

課長(当時)島耕作でも舞台になった。

高飛び先に押さえておきたい。

キリスト教なので、豚肉が食えないとか、酒が飲めないとかの制約が無い。

親日的(なのかな?)

これから、の元気な国に関わっていたい。


などが、今回来てみた理由である。


フィリピン、今んトコ 明るく礼儀正しい気持ちのいい国である。

ビサヤ諸島-1_灼熱のパナイ

マニラで所用を終え、近郊のスービックで知り合いを訪ねた後、飛行機が出ているクラークまでバスで移動し、ここから本格的に旅を始めることにした。

当初、ミンドロ島からビサヤ諸島を回り、100peso札にも描かれる高名なマヨン山に登れれば満足いくだろうと思った。しかし、クラークからミンドロ島にはフライトが無いという。仕方がないので、ビサヤ諸島北部のパナイから旅を始めることとした。


パナイ島北部のカリボに着いたのは16時過ぎだったがまだまだ明るかった。空港を出てチャリを袋から出していると30人くらいの人だかりができ、パタパタっと10秒くらいで組み立てると歓声が上がった。子供のように好奇心で目を輝かせている純粋な人たちだ。

街の方角を聞いて、陽が暮れる前に走り出す。市街までは数十分ですぐに到着。1日目はこれだけで、夕暮れ美しいカリボ泊。


翌日、アジア一美しいとか何とか言われているボラカイ島(パナイ島に隣接)を見に行くことにした。距離を調べるとカリボから片道65km、日帰りのつもりなのでチャリで行くのはツライ。結局、チャリを畳んで荷物とし、バスで行くことにした。


島へは船で移動。波止場からビーチまでは少し距離がある。チャリ持ってきて良かった。


キレイといえばキレイだけど・・

 

予想通りの人混み。こんな所でノンビリできるか?

がしかし、この島の不思議なところは、ほんの少し足を延ばして名の知れないビーチに行くと全然ヒトが居なくなるのである。


海はええのぉ・・ ランチから夕方までゆっくりし、同じルートで戻り、再度カリボ泊。



さて3日目、チャリでロハス・シティを目指す。距離は80km。ロードライドとしては決して長い距離ではない。


ゆっくりと腹ごしらえをしてから出かけよう。フィリピンでは街のどこかで必ず出来合いの定食屋さんがあるので、美味しそうなオカズと米を頼めばお腹はいっぱいになる。

個人的な意見だが、メシはホテルで食わないで街で食べる方が3倍美味しく、値段は1/3だ。 


勇んで出かけるも、当然暑い。今の時期のフィリピンは乾季の終わりで雨など降らず、最も酷暑期、暑い暑い。まだサドルに慣れないのか、ケツも痛い痛い。


椰子の木と田んぼ、という東南アジアにはどこにでもある風景だが、乾季だから水が無い。


風は絶えず吹いているので、日陰に入れば実にいい気持なのだが・・

ひぃひぃ言いながら、昼ごろに通りがかった食堂でランチ。


この店は他の客がイカスミ料理を多く頼んでいるようなので、見習ってみたが確かにうまかった。左のゴーヤチャンプルーはインドネシアでもベトナムでも食べた。暑い地方の国際料理のようだ。


その後も、各地で3-4回給水し、何とかロハス・シティ到着。もうダメ、80kmってもう十分。3日目終了。


翌日、ロハス・シティからパナイ島南部の港町イロイロまで目指す。距離は120km、多分ムリだがバスが結構走っているみたいだから、リタイヤして途中で拾ってもらおうっと(折り畳みチャリ冥利)


気が楽になって取った朝食は、ちょっと肉ニクし過ぎたか・・


 福山通運発見!途上国では日本の中古車をよく見かける。ラオスでは元・佐川急便が走っていた。


 島の中央を縦断するため、やや内陸高地っぽい雰囲気もあるが、暑いのは変わらない。35度位の熱風を爽やかに受けながらヒタスラ南下する。

フラフラしてきた頃、昼を迎えた。丁度いいときに街らしきところに到着。正直、暑さに参って食欲すらなく軽く気持ち悪い。ここならバスにも乗れるだろうし、リタイヤを検討。

とりあえず休もうと、とある食堂に座らせてもらう。(店員)「何か食うか?」 (俺)「・・・ じゃ、何かスープと一品くれ」


コレ(柑橘系の酸っぱいスープと多分ナスを焼いて中身をココナッツミルクでソテーしたか煮たもの)が涙が出るほどウマかった。夏バテ状態なのに一口クチにした途端、抑えられないほどにガッツいている自分に気付いた。
(このナス料理がフィリピン滞在期間でベスト料理だったが、この後二度と巡りあう事は無かった。)


素晴しいメシのあと、 「行ける所まで行くか」。


何故か前向きになった俺は、更に灼熱ライドを続けた。しかしムリなものは無理で、店があるごとにボトル用ミネラルウォーター・冷水(多分蒸留水)・氷の3点セットを購入(計80円位)し、何とか生き延びた。冷水はかぶり、氷はメットにぶら下げて首の後ろを冷やした。

結局、ロハス-イロイロを無事走り切り(結構余裕があった)、4日目、灼熱のパナイライドを終了した。

ビサヤ諸島-2_ネグロス島の 海と森

パナイ島・イロイロからは、フェリーでネグロス島・バコロドに渡る。こういうときにもフォールディングバイクは便利だ。


バコロドで安宿(千円くらい)にチェックインすると、扇風機しか無く、日中は暑くて居られなそうなので、どこかへ出かけることにした。


ネグロス島は山がちな島だ。高原方面への(どうみても過剰積載の)バスに乗って避暑に出かけることにした。

国立公園のプールで涼み、後はひたすらボーっとする。


日が傾いてから、日本人が作ったという温泉へ。湯に浸かり、ぼけーっと空を見上げると大量のコウモリがまだ陽の当たる木に止まってハネをぴらぴらしている。コーモリも暑いのだろおか。 


夕方、上半身ハダカで片手にビール、というチンピラスタイルでオンボロバスに乗り込み、バコロドに戻るとだいぶ涼しくなっていた。でもホテルの部屋には机が無いのでロビーで明日からの計画を立てる。と、「お前一人なのか?一緒にメシくうか?」などと話しかけてくれる。フィリピンの人は本当に親切だ。

*フィリピンの人は余り一人で行動しない(日本人もそうかも知れないが・・)。だから特にチャリなどで一人旅をしているだけでビックリされ、同情されているのかやたら親切にされることが多かった。

ともかく、最初はネグロスを横切って、東隣のセブ島へ向かうつもりだったが、2日かかる行程上に宿が(少なくともネットでは)見つけられない。う~む、どうしたものかとガイドブックをパラパラやっていると、「アポ島は学術保護区で透明度最高!」などと書いてある。どうせチャリで行けないならアポ島の近くのドゥマゲッテまでバスで行くか、とアッサリ決意。

よかよか、と扇風機の部屋で快適に就寝、5日目終了。


翌日早朝、日本の路線バスよりちょっとゆったりしてるかな~くらいの座席のバスに乗って、ネグロスを縦断。パナイ側からセブ側の海を目指す。


バスは途中で何度も休憩しながら、6時間半後、ついにドゥマゲッテ到着。明るい港町の印象だ。


チャリを組み立て、模索するも目星をつけておいた宿がエライ遠い事が分かった。目ざとくバックパッカーズ風の安ホテルを見つけたので、(めんどくさかったから、即)チェックイン。朝からろくなものを食っていなことに気付き、遅いランチに出かける。


おお、市場!食堂が併設されていないかと思ったが、ない。

おお、海ぶどう!エライ安い(数十円)ので思わず買ってしまったが、そのままじゃ食えない(塩抜き必要)。肉もそりゃウマソーだけどコレをこのまま食ったらさぞ日本人の評判が下がるに違いない・・・  てか食えないし。


あきらめて、到着時に見かけた海沿いの中華レストランでも行こうかと思った矢先、フィリピーノ料理屋サン発見!ソッコーで突入し、堰を切ったようにガツガツ食う。と、隣が娯楽場となっていることに気付いた。 


あとで混ぜてもらおうっかなーと、メシを食いながら眺めていたら、とてもじゃない。めちゃハイレベル。年がら年中やっているのだろうか・・


ふと視線を下げると、この暑いのにジーパンだらけ。これも米兵の影響なのだろうか・・ お近付きになる雰囲気でもないな、と、買い物と明日のダイビングの予約をして、6日目終了。


翌朝、宿泊したホテルからピックアップ、車で約20分で港へ。そこから小船で沖にあるアポ島へ。


2ダイブして、久々のワリに疲労感が無かったので3ダイブ目もやろうかと思ったが、写真を撮りたかったので3本目はスノーケリングにした。(フラッシュ持っていないから暗くてゴメンネー)









この日参加してたのは、アメリカ人、カナダ人、ポルトガル人、ドイツ人、フィリピン人、日本人(俺)。非常に国際色豊かだった。ホテルが同じだったため、この後自然にこのメンバーを中心にメシのときとかに集まるようになった。


夜はホテル屋上のバーで飲んだり遊んだり。ドイツからきたフィリピン3ヶ月放浪中のアレックス君はこの旅でビリヤードを覚えたらしい。現地人ほどの腕前ではなく、俺といい勝負になった。(ヨーロピアンはカッコイイ割に意外と下手)


この次の朝、俺はボホール島に行くつもりだった。ポルトガル人のデイヴィッドも同じ予定だという。では一緒に行こう、というコトになったが・・

俺「じゃあ明朝のフェリーで行こうぜ、朝ちと早いけど。」
デ「いや、僕は明後日がいい。」
俺「どうして?ダイビング以外にここでやる事なんてあるか?」
デ「明日できればトレッキングに行きたいんだ。」
俺「トレッキング!?どこへ?」
デ「昼間ボートからあの高い山を見ただろ?キレイな雲がかかっていた。」
俺「 ・・・俺も行く。」


8日目、トレッキングツアー参加。ツアーといっても登山口まで連れて行ってくれて、殴り書きの地図を渡されるだけだ。はなはだ心細い。


とは言え、ちゃんとしたトレイルのあるのんびりしたハイキングで気持ちのいい午前を過ごす。

「フィリピンにもこんな涼しいところがあるんだな」(参加者一同)



午後は道なき道的な渓谷トレイルで、結構苦労(負傷数名)して目的地の滝まで辿り着く。


意外と疲れて滝つぼで放心する中国人夫婦、フランス人青年、デイヴィッド。でも苦労したせいか妙~に仲良くなり、ホテルに帰っても遅くまで飲んだ(俺とデイヴィッドは翌日5時起きだって何回も言ってるのに・・ )。

ビサヤ諸島-3_旅は道連れボホール島

ビサヤめぐり9日目、3泊したネグロス島・ドゥマゲッテからフェリーに乗り込み、ボホール島・タグビラランを目指すデイヴィッドと俺。


タグビラランでお互い宿にチェックインする。港近くのデイヴィッドの宿に戻ると、彼は抜かりなく観光スポットへの交通手段を調べていた。

まずは、バスターミナルまでトライシクルという単車に小さいワゴンを付けたような乗り物で移動。大の男二人だとちょっとキツい。トライシクルはフィリピンではメジャーな交通手段だが、俺はいつもチャリだったので乗った事がなかった。


ターミナルからバスで、島中央にあるチョコレート・ヒルなるものを目指してみる。バスでおしゃべり好きなオバちゃんに捕まるデイヴィッド。フィリピンではどこでも英語が通じるからスゴい。


チョコレート・ヒルには奇妙な形の小山が散在する。形成過程は良くわかっていないらしい。


国内からの観光客も多い。何故か俺たちと一緒に写真を撮ってくれと言われた。


反対方向のバスに乗りタグビラランに戻る途中、リバークルーズが有名らしいロボックに寄って見る。丁度昼飯時だった。

 

川をゆっくりと巡る船上で食事をとる。風が涼しくて気持ちがいい。


タグビラランへはジプニー(ジープの後部が長くなった小さいバスみたいな車)で戻る。フィリピンはどこでも子供でいっぱいだ。


10日目、デイヴィッドの宿で待ち合わせ、世界最小のメガネザル、ターシャを見に行く。ターシャは夜行性なので昼間は余り動かない。指導員が保護区の林の中を案内してどこにいるか教えてくれる。


「ヨーダのようだ・・」と思ったが、実際こいつがモデルらしい。


街に戻り、再会を誓いつつデイヴィッドはフェリー埠頭に向った。彼とは結局4日も行動を共にした。俺は次の目的地、セブ島に近いTubigonまでチャリで移動することに。


美しい海を見ながらの53kmのんびりショートライド。しかし困ったのはこの日が日曜で、メシを食うところが全然無い。「腹へった、腹へった」と飢えながら走っていると、海沿いから音楽が聞こえてくる。レストランに違いない!


ナンか様子が変だが、「ここで何か食えるか?」と聞くと、「何だ腹が減ったのか、まあ座れ」という。コレを食え、アレも食え、と言うので素直にがっつく。不思議なレストランだ・・


更にビールが出てきて、「まあ飲め、そら飲め」という。隣にいた長老風のじいさんに話を聞くと、今日は日曜だから親戚が集まってカラオケ大会をしているという。どうやら思いっきりプライベートな空間にズカズカ入ってしまったようだ。



一杯が二杯になり、二杯が三杯になる。更に一曲歌わされ(好きではないがこういうときビートルズは便利だ)、そのうちトゥバという椰子の実から作ったワインが出てきて、しっかり宴会に参加してしまった。どこの国でも酒を断るのは難しい。


1時間以上飲み食いして、まだ20km以上走らなくてはいけないことを思い出す。ビール3Lをお礼のつもりで献上し、再び走り出す。南国の酒はあっという間に抜ける。


無事、陽のあるうちに Tubigon のフェリーターミナル到着。


トライアスリート発見。ボホールの方が交通量が少ないため、わざわざセブから練習に来たと言う。金持ちやの~


やっぱりスシ詰めのフェリーに乗り込む。さて、次はいよいよセブ島だ。

ビサヤ諸島-4_セブ&オランゴ環礁・カオハガン

前日、セブ・シティに着いたのは夜更けだった。「セブ島」は日本でもよく聞く名前だが、実際は、特に観光客が言う場合はセブ島に付随する小さなマクタン島の事を指していることが多い。


ビサヤ11日目、セブ・シティのホテルをチェックアウトし、チャリで リゾート・アイランド、 マクタン島に渡る。


この日は更に離島に渡る予定。今後の食事がどうなるかわからないので、マクタン島でしっかりとお気に入りのフィリピーノフードを堪能する。特にココナツミルク系(写真奥)はハズレが無い。


フィリピンの地図は、他の国と較べるとマトモな方だが、それでも完全にアテにしてはいけない。更に太陽がほぼ真上(影が真下にできる)なので、日中はお天道様すらアテにできない。俺は主要な交差点では3人に道を聞いて、多数決で決めて進んだ。その方法でほぼ大丈夫だった。


ものすごい熱狂に包まれた集団に近寄ってみると、闘鶏の賭けの最中だった。人が多すぎて主役のニワトリはちょっとしか見られなかった。


マクタン島南部の港から、2泊を過ごすオランゴ環礁のカオハガン島という離島に連れて行ってもらう。


以前この島に関する本を読んで、一度来てみたかった。


あてがわれた小屋。海が目の前で通り抜ける風が心地いい。


もうあとは、自由に過ごすだけである。ハンモックで昼寝もよし、ゆっくりと読書もよし、海辺を歩くのもよし・・


海に潜るのもよし。たくさんの魚が出迎えてくれる。


 夕方、ラム&コーク(ラム酒とコーラのカクテル)を飲んでいる3人の若者に誘われて飲み始める。あっと言う間にラプラプ(マゼランを殺した酋長であり、マクタン島の行政名であり、魚の名前でもある)を料理し、皆で食う。




刻一刻と移ろぐ紫色の夕映えが美しい。


 誰も時計をしていないので、何時頃まで飲んだのかは分からない。でも、冷やりとした砂に座って星を眺めながら飲む酒はヒジョーに美味かった。

不思議なことに、ラム酒(中南米のラムとは違う)はいくら飲んでも二日酔いしない。


朝が始まる。


俺は今日も無為の日を過ごす。


潮が引くと、島民はオカズを探しに行く。


犬と戯れ、ぶらぶらし、本を読み、泳ぎ、空を眺める。


そんな、何もしない贅沢を満喫したカオハガン2泊3日だった。

ビサヤ巡りはコレにてタイムアップ。マクタン島から飛行機でマニラに戻った。


ビサヤ諸島-5_行程


【ビサヤめぐり・行程】

今回の旅はほとんど直前に決めたから、無計画そのものだった。だから途中でどうにでもなるようにフォールディングバイク(折りたたみチャリ)を持っていった。

フォールディングはピンからキリまであるが、俺が調べた限りドイツのリーズ&ミュラー社から販売されているBirdyシリーズ(日本では登録商標の関係でBD-1と呼ばれる)が、ちゃんと畳めてちゃんと乗れるスポーツタイプでは最高のモデルだ。
 ( コンパクトさか走行性のどちらかのみを求めるなら他にも候補はある)

そういえば旅の途中で会ったドイツ人にこの話をしたら大変誇らしげであった。しかもこの日、チャンピオンズリーグでバイエルンミュンヘンがバルサに大勝し、彼のイキオイは留まるところを知らなかった。
(あ、ちなみに別の機会に2人のドイツ人にビールの本場の人間としてフィリピンのサンミゲル・ビールの味はどうだ?と聞いたら"We both enjoy it!" と言っていた。)


ともかく、こいつのスゴさは これまでの国内旅行で分かっていたつもりだったが、今回思い知ったのはその頑丈さである。フィリピンの飛行機・フェリー・バスなどの超テキトーな扱いにも、「オイラ Made in Germany、ボルボ並みに丈夫だかんネ!」と全く不安を感じさせなかった。

ただでさえトラブルの多い異国の旅、信頼の置ける相棒ほど心強いものは無い。
(まあ一回パンクしたけど、どちらかと言えば俺のせいだ・・)


上は4月26日から5月8日までの約2週間の行程である。無計画な旅だったが、かえって予定外のイベントもたくさん楽しむ事ができ、若き日のバックパッカーにでも戻ったような気分だった。

一方、当初予定していたマヨン山に登る事ができなかった。行けるなら5月6-7日で登る予定だったが、カオハガンとうまく電話が繋がって予約ができたこともあり、マヨンを断念、カオハガンに行った。

しかし、帰国してから知ったのだが、5月7日の朝マヨン山が突然噴火し、登山客等27名のうち5名が死亡していた。俺は予定が変わって命拾いをしたことになる。

ともかく、(一応)勤め人でありながら、こんなノン気な旅行をすることは大変マレと思われ、貴重な経験をできたことは感謝すべきことだと思っている。


01 パナイ クラーク → カリボ(飛行機)、カリボ泊
02 パナイ カリボ → 日帰りでボラカイ島(バス・フェリー)、カリボ泊
03 パナイ カリボ → ロハスシティ(チャリ)、ロハスシティ泊
04 パナイ ロハスシティ → イロイロ(チャリ)、イロイロ泊
05 ネグロス イロイロ → バコロド(フェリー)、バコロド泊
06 ネグロス バコロド → ドゥマゲッテ(バス)、 ドゥマゲッテ泊
07 ネグロス ドゥマゲッテ → 日帰りでアポ島(トラック・フネ)、 ドゥマゲッテ泊
08 ネグロス ドゥマゲッテ → 日帰りでトレッキング(トラック・歩き)、 ドゥマゲッテ泊
09 ボホール ドゥマゲッテ → タグビララン(フェリー) → 日帰りで観光(バス等)、 タグビララン泊
10 ボホール/セブ  タグビララン → ターシャセンター(バス等)→ トゥビゴン(チャリ)→ セブ(フェリー)、セブ泊
11 カオハガン セブ → マクタン(チャリ)→ カオハガン(フネ)、カオハガン泊
12 カオハガン (特に何もせず)、カオハガン泊
13 カオハガン/セブ カオハガン → マクタン(フネ)→ 空港(チャリ)→ マニラへ

Philippines_“たったの3週間?”

ドゥマゲッテで行われた“休暇”に関する多国籍討論をまとめてみた。

比:フィリピン  /  ポ:ポルトガル  /  独:ドイツ  /  加:カナダ  /  米:アメリカ  /  日:日本  /  仏:フランス /  中:中国

比「あなた達はどの位この国にいるの?」
ポ「今2週間ちょいで、あと2-3週間かな」
独「ああ、私たちも・・ 4週間?くらいよね?」←カップルの女。
米「俺はもうすぐ一ヶ月かな」
日「俺は2週間、あともう1週間でオシマイ」←俺
比「あなたは短いのね」
日「短くないって!3週間休むなんて日本ではフツーじゃないんだよ」
独「知ってる、日本人は休まないんだろ?」←カップルの男。
日「休むけど・・ でも1年に2週間休めたらラッキーって感じ。夏と冬に1週間ずつで」
独「年に2週間だけ?! 信じられない」(手で顔を覆う)
米「オイ ちょっと待て、アメリカもそうだよ、年に2週間。だからアメリカ人は旅しない。」
仏「ん?君はもう一月ここにいるんだろ?つまりフツーじゃない仕事ってこと?」
米「仕事は辞めたよ」
日「ああ、まさに今俺それ考えてる」
(一同笑い)
ポ「ケドそりゃ悲惨だなあ、僕らはフツー年に6週間だよ。まあ僕は公務員だから確実に休める方だけど」←ECのエリート職員デス
独「6週間?長いわね・・ あ、でもドイツでもそのくらい可能かな?職種によるけど。」
中「私の仕事は中国で典型的ではないかもしれないけど・・ やっぱり6週間休むわよ、私の場合は2週間を3回。」
仏「フランスではフツー最低5週間、希望すればプラス2週間。」
加「いいなぁ~」
仏「でもいいことばかりじゃない。僕はIT関係で国際競争が激しいんだ。フランスは競争力低くてね。ただ組合が強いからどの企業も休暇は減らせないんだ。一方、フランスの失業率なんて20%だぜ、めちゃくちゃなんだよ。」
(一同、「 ・・・」)
加「でも君は職を持っているんだろ?職を持っている人は『休暇はいらない、国際競争力を高めて、失業率も減らそう!』とは言わないんじゃないの?」
仏「その通り、だから良し悪しなのさ・・

などという会話を何回かした。日本の休暇が如何に短いかを思い知らされた。『なぜ日本人はそこまで働くのか』という話題に繋がったこともあった。要は、日本の習慣は彼らには奇妙なのである。


色々な所で、フィリピン人とも話した。上と同じ質問に答えると、“Only three weeks?” と何度か言われた。語学留学や退職後のロングステイをする日本人が多いせいでもあると思うが・・


 “ポ”のデイヴィッドと別れ際にした会話が頭から離れない。

俺「おいデイヴィッド、コレが終わったら次はどこに行くんだ?」
デ「今回東南アジアだから次は中南米かな?」
俺「なんだよ、日本に来いよ」
デ「言っただろ?日本にはもう2回も行ったし、行ったことのないメキシコあたりが先だよ。」
俺「そうだったな(酔ってて覚えてない)、お前はスペイン語もポルトガル語もできるし、きっと楽しいだろうな。」
デ「まあ Mt. Fuji に登るときは頼むよ。お前こそ次はどこだよ?ヨーロッパなら案内するぞ?」
俺「オレ? さあな、行きたいところが多すぎて・・」
デ「You said it! There are so many places to visit. We sure ARE busy, what if we only had memories of just working when we died..